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「日本人ママとキューウィー義父さん」第18回

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日本人ママとキューウィー義父さん

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第18回:自分らしい人生

マクリーンえり子

エバコナ EVAKONA
学校長

マクリーンえり子

1950年、東京生まれ。大学卒業後に1年間イギリスに滞在、帰国後は海事広報協会の旬刊紙「海上の友」記者。結婚して3人の子をもうけるが、1989年に母子4人でニュージーランド(NZ)に渡り、その後NZ人と再婚。1990年から地元の公立高校で日本語教師として教える。2001年に退職し、高校に隣接した場所で、NZの大学や高校に留学を希望する生徒たちのための準備校・補習校として語学学校EVAKONA(エバコナ) を開校する。2008年8月には共同通信社発信、日本全国34紙で掲載中の「日本遠望」でその教育活動が紹介された。ニュージーランドから電話、スカイプでの無料教育相談も受けている。

義父さんはジョイナーだった。
ジョイナーというのは日本の建具屋に相当する。ともかく木で作るものなら家具からドア、窓枠、キッチンユニット、船まで義父さんは作ることができる。

ニュージーランドは英国と同じ徒弟制をとっているので、こうした技術は職人のところに弟子入りして学ぶ。だから義父さんも高校を終えてから4年間、建具職人のところに弟子入りして、ほとんど無給で技術を学び、最後の仕上げに、国家試験をパスして一人前のジョイナーになった。

その彼が20代の後半でほとんど無から建具のビジネスを始めた。始めてすぐ世界はオイルショックに見舞われ、ニュージーランド経済も低迷した。木工製作はプロでもビジネスは初めてだった義父さんにとって、それは新しいチャレンジの始まりだった。数年後に私と出会った時、彼のビジネスはちょうど分岐点に来ていた。マネージャーをやとって、工場を広げ、もっと職人も増やして利益の拡大を図るか、それともいっそのこと自分ひとりで続けるのか、選択に悩んだが、最終的に彼は後者を選択した。

工場を縮小してからしばらく義父さんは極端に仕事を減らし、自己啓発、ビジネス、富についてなどの本やテープを買ってきては1人で聞き入るようになっていった。そのうち義父さんは私たちに向かっても「毎日、目の前だけをみて、その日の仕事に追われるだけの生活には将来がない」と言うようになった。
息子たちに「経済自由人」という言葉を吹き込んだのもこのころだ。そして「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者ロバート・キヨサキ氏が作った投資ゲームを買い込んで息子たちにも遊びながら経済教育をしたりする。そして私にも「君のその猛烈に働くエネルギーを自分のクリエイティブな仕事のために使えばもっと自分が自由になり、見返りも大きいぞ」などという。

それまで私は高校の日本語教師として働きながら、国際交流や交換留学のことで奔走し、一方で高校内に日本人留学生の為の補習教室を開き彼らの世話していた。私の働いていた高校に私費留学してくる日本人留学生数は毎年増えてきており、彼らの語学力のハンディーや文化の壁など、色々な問題点を見るにつけ、その生徒たちの為に私はきちっとした補習校、準備校を開く必要を感じ始めていた。

私もついに覚悟を決めるときが来たようだ。日本語は誰でも教えられるけれど、このニュージーランドで日本人留学生の世話は日本の現状と日本人を理解する私にしかできない。そう気づいたとき、私は日本語教師をやめる覚悟が決まった。そしてついに50歳を目の前にして自分の学校を作る決心をしたのだった。

私の若いころの日本では一般的に一度就職すると退職するまで同じ職場で働くケースが多かった、そして結婚においては永久就職などと言う言葉もあったくらいだ。しかしそれに対してニュージーランドでは一生の間に何度も人生の方向転換をするのは普通のことだ。義父さんも今ではファイバーグラスの飛行機を作っている。彼の新しいチャレンジだ。結婚も同じで、離婚率も高いが、再婚率はほぼ90%以上という結果が出ている。

ニュージーランド人は常に自分の人生の向上を目指し、変化に満ちた生活を恐れない。安定よりも自由と独立を重んずるその生き方はとても明るく生き生きとしていて、驚くほど伸びやかだ。




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