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コラム「ボボたちのパリ」第4回

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ボボたちのパリ

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第4回:大学生のデモ


1954年名古屋市生まれ。80年毎日新聞入社。甲府支局、東京社会部、外信部、90-93年アフリカ特派員ハラレ支局長、93-95年同ヨハネスブルク支局長、99-03年ウィーン支局長、03-05年外信部副部長、05-09年パリ支局長、09年4月から現職。著作 『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)。

05年秋の郊外暴動が移民系の若者が不満を爆発させたものとすれば、翌06年春に起きた若年失業対策法への抗議デモは、白人大学生らが不満を爆発させたものだった。

2つの動きの形態はまったく異なっていたが、根っこは同じ「失業の不安」にあった。もちろん移民系若者の置かれた状況は非常に厳しい。しかし、大学生たちの状況も決して楽ではない。そして、フランスには、彼らとはまったく違う基盤で暮らすグランゼコール(高等専門教育機関)のエリートたちがいた。

学生デモ「フランスの政治は街頭で決まる」という言葉を聞いていた。若年失業対策法をめぐる動きは、まさにその実例を見せてくれた。五十万人、百万人の大規模デモやストが全国の街中で繰り返し展開され、ついに法案は修正され、事実上撤回となった。「フランスでは政府(右派)が何か新たな政策を提示すれば、野党(左派)が必ず反対する」という構図の典型だった。大規模デモを成功させ、法案撤回に追い込んだ左派は、07年の大統領選に向け大いに気勢を上げていた。

若年失業対策法の焦点は、従業員20人未満の企業が26歳未満の若者を雇用する場合、2年間の試用期間中は企業に「理由なしの解雇」を認める初期雇用契約(CPE)を含む制度だった。フランスではいったん企業に正式雇用されれば、企業側が解雇することは非常に難しく、これが雇用の流動性を阻止し、高失業率につながっていた。ドビルパン首相はCPEの導入により、企業側が「解雇し易くすることで雇用を促進する」狙いだったが、労組や学生側は「一方的解雇が企業側に利する」と一斉に反発した。

法案は06年3月9日に上下両院で採択された(両院とも与党が多数)が、学生たちは7日から抗議行動に入り、9日には全国30以上の大学が抗議行動を続けた。パリのソルボンヌ大学では10日、大学正門に面したサンミッシェル大通りで学生たちが警官隊と衝突。300人が大学の窓ガラスを破って学内になだれ込み、椅子や机でバリケードを築き、立てこもった。警官側は催涙ガスを打ち込んだ後11日午前4時すぎ、学内に突入。学生側は椅子や本を投げつけて応戦したが引きずり出され、25人が逮捕された。

ロビエン教育相が「学内占拠は非民主的だけでなく危険。授業を受けたい学生のことを考えるべき」と非難する一方、野党・社会党のドラノエ・パリ市長は「学生たちの平和的な抗議行動に警官隊が強制力を行使したことは非常に遺憾だ」との声明を出した。国民の多くは、同大を拠点にした68年5月の大学紛争を思い起こし、衝撃を受けた。

全仏学生連盟のジュリヤール委員長は「撤回しなければまた街頭に繰り出すばかりだ」と表明し、パリの繊維工場従業員、モードさん(22)は「CPEが適用されれば私の期間契約は打ち切られるだろう。デモの声が政府に届いて欲しい」と話した。

抗議行動には労組も加わり、18日のデモは警察発表で50万人(労組発表150万人)が参加し、全国84大学中60大学がマヒ状態に陥り、ドビルパン首相の支持率も37%と2カ月前から16ポイントも急降下し、その後さらに25%まで落ち込んだ。数十万人規模のデモやストは3週間のうちに5度も行われ、首相周辺からは「2年間の試用期間を1年に、解雇の際には理由を示す」との妥協案が一時流れたが、学生はこれを全面拒否し、対立が続いた。

【同時掲載コラム】 「Mainichi Daily News 編集長の目



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