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コラム「アジアの熱風」第23回

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第23回:クンさん

西尾 英之さん

英文毎日室長、ザ・マイニチ(旧 毎日デイリーニューズ)
編集長

西尾 英之(にしお ひでゆき)


1963年生まれ。87年毎日新聞入社。福島支局、社会部などを経て03年から特派員としてパキスタン、インド、タイの各国に駐在。12年4月から現職。

クンさん

▲クンさん=西尾撮影

バンコクでの3年間、我が家には「クンさん」という名前のアヤさんがいた。「アヤさん」とはアジアの日本人家庭で、炊事、洗濯、掃除から子供の世話まで何でもこなすお手伝いさんのこと。語源は諸説ありはっきりしないが、多くの日本人家庭が家事支援の地元女性を雇っており、「アヤさん」という言葉で広く定着している。

前任地のパキスタンやインドに比べ生活環境のよいバンコクでは、外国人家庭でも十分、お手伝いさんなしで暮らしていけると思う。だが、前任地でのお手伝いさん付き生活に味をしめた家人は強硬に雇用を主張した。外国人家庭が多いバンコクでのアヤさん探しは大変だ。能力の高いお手伝いさんは、日本人以外の家庭でも引っ張りダコ。さらに日本人の場合は「日本食が作れること」などの条件も加わる。


何人かの面接や試用を繰り返した末に、すでに何軒もの家庭を掛け持ちしていたクンさんに無理やりスケジュールを空けてもらい、午前中だけ週3回、私の家で働いてもらうことになった。

給料は月3000バーツ(当時のレートで約1万円)。しっかり者のクンさんはとにかくよく働いた。朝の8時に我が家へ来ると、手際よくみそ汁などの朝食を用意し、洗濯、掃除、アイロンがけ。子供がいない我が家では11時前にはほとんどの仕事が片付いてしまう。

自宅に戻りわずかな休息を取ると、昼には自転車で次の仕事に飛び出していく。顧客は、富裕層が居住するかなり広い範囲に点在していた。猛スピードで飛ばす車を縫って大通りを横断する姿を何度か見かけ、「危ないからバスで行ったら」と声をかけたが、「バス代がもったいない」と自転車を手放さなかった。

クンさんの「自宅」は、私が暮らしていた賃貸マンションの1階。駐車場の脇の6畳ほどの小部屋を間借りし、夫と小学生の息子の3人で暮らしていた。チャンさんと呼ばれた夫はマンション専属の「技術者」。電気や水道の修理係なのだが、いつもそう仕事があるわけではない。妻のクンさんが朝から深夜まで駆けずり回って稼ぐ一方で、チャンさんはひなが一日、ニコニコ笑いながら近所の幼児を集めて自転車に乗ったり、マンションの警備員とおしゃべりしたり。仕事姿を見ることはほとんどなかった。

チャンさんの月給がいくらかは聞かなかったが、妻の方がはるかに稼ぎがよいのは間違いない。タイでは一般的に女性の方が男性に比べはるかに働き者だ。露店で稼ぐ妻たちの傍らで、男同士で将棋やトランプなどのギャンブルに明け暮れる夫、という姿はどこでも見かける。その意味でチャンさん、クンさんは典型的なタイの夫婦だった。

夫婦の出身は北東部の都市ウドンタニ。夫婦は故郷に上の息子を一人残しており、祖父母が世話をしていた。これもタイで典型的な出稼ぎ家庭の姿だ。年に1度、日本の正月に当たる水かけ祭りの季節になると、一家はクンさんの稼ぎで手に入れた中古の軽乗用車で帰省する。「Uターンラッシュでバンコクまで12時間かかった」。郷里から戻ったクンさんが疲れた表情でそう話す傍らで、チャンさんは普段のようにニコニコしていた。

英語も日本語もほとんど話せないクンさんだが、片言のタイ語を話すようになった私の妻とは雑談を交わすようになった。「仕事も疲れてきた。そろそろウドンタニに帰りたい」。クンさんはそうこぼしていた。

だがタイは日本以上の首都への一極集中構造。働き者のクンさんだが、地方都市のウドンタニへ帰っても満足な収入を得られる仕事を見つけるのは難しいだろう。昨年、バンコクを訪ねた際には、夫婦は同じように駐車場脇の小部屋で暮らしていた。次に訪ねる時はどうだろうか。家族を支えるしっかり者のたくましい笑顔に、また会いたい。


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