グローバルキャリア塾 連載コラム

アジアの熱風 (第5回)

第5回:ミャンマーの春

英文毎日室長、ザ・マイニチ編集長

西尾 英之(にしお ひでゆき)

1963年生まれ。87年毎日新聞入社。福島支局、社会部などを経て03年から特派員としてパキスタン、インド、タイの各国に駐在。12年4月から現職。

The Mainichi

(2012年9月1日掲載)

「これが私の息子です。どうかバンコクで捜してください」
タイ南部のミャンマーとの国境の町ラノーンで、私は初老の男性に1枚の写真を見せられた。「捜せ」といわれてもこちらは外国人記者。口ごもっていると男性は「写真を差し上げますから」と、ピントがずれたポートレートを強引に押しつけた。

息子は十数年前、ミャンマー南部からタイに出稼ぎに行ったまま音信不通になった。教員をしていた男性は、職を辞して息子を捜す旅に出た。だがラノーンからタイに入国した後は行方を追うすべもなく、そのまま国境の町に居着いて働きながら、出会った人に写真を見せて「捜してください」と頼んでいるのだという。

「息子を捜して」と手渡された顔写真

経済成長が続くタイの若者は、工場や建設現場などでの肉体労働を3D(きつい、きたない、危険の英語の頭文字)だといって嫌う。労働力不足を埋めているのが、数百万人とされるミャンマーからの出稼ぎ労働者だ。

日本人旅行者が目にする首都バンコクの高層ビルの建築現場もミャンマー人労働者に支えられている。だが彼らの多くはタイでの正式の労働許可を受けておらず、いつ警察に摘発されるかわからない不安定な身分だ。

歴史的にはミャンマーは、地域でベトナム、タイに並ぶ強国だ。18世紀にはタイの奥深くにまで攻め込み当時のアユタヤ朝を滅亡させたこともある。だが、第二次大戦後の長年の軍事独裁支配で、国際社会からの孤立し経済はアジア最貧国レベルにまで落ち込んだ。

国内に満足な仕事はなく「経済難民」ともいえるタイへの大量の出稼ぎが始まった。潜在的なミャンマーの強さを知っているタイは、底辺労働に従事するミャンマー人労働者にことさら辛く当たる。一方でミャンマー軍事政権は自分たちの失政で生じた出稼ぎ労働者を、「国を捨てた裏切り者」として徹底的に無視する「棄民政策」を取った。

タイで理不尽な扱いを受けても母国の政府は何も助けてくれない。それどころか労働者は帰国すれば「外国でカネを稼いだのだろう」と極端に多額の税金を課せられた。出稼ぎ労働者はタイと母国の双方からいじめられ、二重の苦しみを味わされてきた。

ミャンマー軍事支配の一番の被害者は、アウンサンスーチーさんたち民主化勢力ではない。「成長のアジア」で一国だけ、何十年も時が止まったような貧しい生活を強いられてきた国民だ。昨年、耳を疑うような出来事があった。タイ中部を襲った大規模洪水で、在タイ・ミャンマー大使館がタイ国内のミャンマー人労働者への支援活動に乗り出したというのだ。

自国からの出稼ぎ労働者の存在を徹底的に無視してきた軍事政権当時には考えられなかった対応だ。昨年春に半世紀ぶりに民政移管を果たしたミャンマーのテインセイン大統領がスーチーさんとの対話など民主化策に乗り出しても、まだ「半信半疑」だった私は、この件で「ミャンマーの『変化』は本物かもしれない」と考えを変えた。

私の手元にはラノーンで父親から手渡された写真が残る。息子はいまも生きているだろうか? ミャンマーに「春」が訪れたいま、親子の対面も実現することを祈る。

ミャンマーにて

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