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コラム「アジアの熱風」第7回

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第7回:イサーンと原発

西尾 英之さん

英文毎日室長、ザ・マイニチ(旧 毎日デイリーニューズ)
編集長

西尾 英之(にしお ひでゆき)


1963年生まれ。87年毎日新聞入社。福島支局、社会部などを経て03年から特派員としてパキスタン、インド、タイの各国に駐在。12年4月から現職。


タイ語で「イサーン」とは「東北」の意味だ。タイ東北部に当たるイサーン地方は、バンコクが位置するタイ中央平原とは山脈で隔てられ、乾いた赤土の大地が広がるタイでも最も貧しい地方。昨年3月の東日本大震災の数カ月後、イサーンの山あいにある人口2000人ほどの小さな村を訪れた私に、村長が「村はどうすればいいんだろう」と問いかけてきた。

発電公社が掘った地質調査用の穴を示す村長村は日本の大震災の9カ月前、タイで初の原子力発電所の立地候補地になったばかりだった。震災後、東京電力福島第一原発の原子炉建屋爆発を伝える日本からのテレビ映像に、住民はパニック状態に陥った。訪ねてきた日本人記者が昔、その福島の支局に勤務し原発立地地域を取材した経験があるとわかり、村長は「立地受け入れを続けるべきかどうか」と助言を求めたのだ。

「村はずれのダム湖添いを原発建設候補地としたい」とのタイ発電公社の申し入れに、当初住民は安全性への懸念から消極的だったという。だが「村の生活を変えてみせる。みなさんは出稼ぎに行く必要はなくなるんですよ」との発電公社の訴えは、住民の心を大きく動かした。最終的には村の総意として立地受け入れを決めた。

イサーンの村と、福島県浜通り地方など日本の原発立地地帯との共通点は「経済成長に取り残された貧しさ」だ。いまのタイは、福島に相次いで原発が建設された日本の高度成長期と同じ。首都周辺が自動車製造業など急激な産業集積が進む一方で、イサーンの経済開発のペースは遅く格差は一向に縮まない。

バンコクで働くバイク・タクシーの運転手の多くは、家族を郷里に残したイサーンからの出稼ぎ者だ。建設候補地となった村はイサーンでも特に貧しい山間部にある。小学校を終えた子供たちはほぼ例外なく都市部へ働きに出る。「出稼ぎのない村にしたい」という思いは、住民全員の願いだ。

「建設を受け入れれば地元で2000人を雇用し、道路や学校、病院も建設する。子供たちが村を離れる必要はなくなります」。タイ発電公社は村の住民にそう「夢」を語った。日本の電力会社が地域に原発受け入れを迫った手法と同じだ。発電公社は「貧しい地方に立地を受け入れさせるノウハウ」さえも、日本から「技術指導」を受けているのではないか。私はそう疑った。

原発に地域振興の夢を託したい村の人々の思いは痛いほどわかる。だが日本では住民の気持ちは最悪の形で裏切られた。原発の地元住民は「まさかの事故」への不安を抱きながらも、「出稼ぎのない地域に」「地域振興のために」という思いから恐れを封印して原発と共存してきた。その結果が、住み慣れた郷里に戻る見通しも立たないという今回の事故だ。

福島第一原発の事故後、タイ政府は「原発計画の中断」を表明。村で始まっていた建設可能性を探る地質調査は中断された。だが最近になって「新たなエネルギー開発は急務」と、原発建設へ向けた調査を再開する考えを示している。村に再び原発建設の話が持ち込まれる可能性は十分にある。

電力がどうしても足りなければ、原発はバンコクにつくればよい。村はゆっくり、足に地が着いた地域振興を模索するべきだ。「国の経済成長の犠牲になってほしくない」という私の思いは、イサーンの村人に届くだろうか。


発電公社が掘った地質調査用の穴を示す村長


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