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コラム「クロアチアからこんにちわ」第1回

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クロアチアからこんにちわ

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第1回:クロアチアとの出会い

純子 スボタ

ザグレブ経済経営大学
Zagreb School of Economics and Management

純子 スボタ

国際基督教大学国際関係学科卒。1995年より9年間シャープ株式会社に勤務。 海外代理店営業、OEM営業、及び渉外部勤務を経て、2003年より駐クロアチア日本大使私設アシスタントとしてザグレブに滞在。 生け花、茶の湯、着付け、寿司ワークショップ等日本文化関連行事の運営に携わり、クロアチアにおける日本文化理解の向上に尽力。 任期満了後、2007年から1年間、在パリのシャープ・エレクトロニクス・フランスに勤務。クロアチア人と結婚後、2008年2月よりザグレブ経済経営大学に勤務、 同大学のインターナショナルオフィスおよび日本センターの運営に携わる。2010年同大学MBA課程終了。3児の母。
■ ザグレブ経済経営大学 HP: http://www.zsem.hr/

ドゥブロヴニク

▲クロアチア随一の観光名所ドゥブロヴニク

縁あってクロアチアに来たのが2003年。それから10年。今はザグレブ経済経営大学に勤務しつつ3人の子供の育児に奔走する毎日だ。確かに父の仕事の関係で中学はアメリカだったし、大学もICU。恐らく外国に関連した仕事をするんだろうと漠然と思い描いていた自分の将来だが、果たしてクロアチアで暮らすことになるとは全く想像もしていなかった。そもそも、2003年にクロアチア赴任が決定した際、高校時分の地図帳にはクロアチアは載っていなかった。経由地のウィーンから乗り換えた飛行機は中央通路を挟んで両脇2列の小型プロペラ機。いったいどんな国なのか、いっきに不安が募ったことを今でも覚えている。

クロアチア赴任は父が日本大使に任命されたことから。諸事情あって母の代理で私が同行することになった。当時勤務していたシャープ株式会社から3年間の休職を頂戴していざ赴任。赴任前に外務省でクロアチア語の講習を少しばかり受けたものの、クロアチアに関する理解度はほぼゼロ。当時話題をかもしていたK1のミルコ・クロコップがクロアチア人だったかしらという程度。赴任にあたりドライヤーを持参することからしておかしい。クロアチア人だって髪を乾かすという当たり前の概念が思いっきり欠如していた。空港に出迎えにきてくれたドライバーさんに「ザグレブにプールはあるんですか」と聞いてしまうあたりもかなりズレていた。いくら毎日仕事帰りにプールに通っていた水泳マニアといえど、ザグレブにプールがないかもしれないと思ってしまった自分がおかし過ぎる。

クロアチア滞在歴は10年だが、途中パリのシャープに勤務をした1年間が入るため、第1幕と2幕といったところだろうか。第1幕は大使夫人代理としての生活。2幕目は一般庶民としての生活。大使夫人代理としての生活は、大使公邸を住居とすることを初め料理人、ドライバー、執事などスタッフ達に囲まれた生活で今思えば別世界。一人でのんきに出歩く雰囲気ではなかったことや公邸の部屋の窓に鉄格子がついていたことから囚われの身になった感じがしたのを覚えている。車も運転し一人で動けるようになってからは断然クロアチアでの生活を楽しめるようになったわけだが、何しろ大使の様々な公務に同行する中で、普通では体験しえない多くのことを経験することが出来たことは私の一生の宝といえる。

3年間の任期を終え、さてシャープに復職...という2006年、クロアチア人の男性と結婚する道を選んでシャープを退職。日本には帰らずにそのまま夫と二人でパリでの生活を始めた。パリのシャープに空きがあるということで1年間勤めることになったためだが、万人(?)の憧れのパリ生活。長時間勤務や通勤のストレスは東京並みだったが、大学で勉強したフランス語を実践できたのは幸い。あっという間に予定の1年間は過ぎ、さて今後どうするかという決断に迫られた際、やっぱり選んだのはヨーロッパ。当時飼っていたゴールデンレトリーバーが40キロを超える立派な体格の持ち主で、日本への航空運賃がビジネスクラス並みに高くなることが判明。これじゃあ日本に連れて帰れないし、かと言っておいていくのも悲しすぎる...。というわけでクロアチアに陸路移動をした次第。

そうして始まったクロアチア生活の第2幕。さすがに庶民の暮らしとなると自分の面倒は全て自分でみなければならない。こんなに大変だったのー???を連発する日々が始まった。今では極当たり前になった色々なことが、当時は「何でクロアチアって〜〜なの?!」と夫婦喧嘩の原因となった。ただ単に外交官としての生活では知りえなかった現実を知ることになっただけの話だが、一方的に公正さを欠くクロアチア駄目論で夫婦喧嘩は実に盛り上がった。そうした当時の不満も今では「でも日本だって〜〜じゃん」とあくまでもフェアにとらえることが出来るようになった。当時何を不満に感じていたかは追って紹介していきたいと思うが、ザグレブ経済経営大学で仕事をしつつ3人の子供達の成長を見守る今の生活はとても気に入っている。「日本だったらこうはいかないよな〜」という、クロアチアでの生活における多くのポジティブな点もぜひぜひ紹介してみたい。



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