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コラム「Mainichi Daily News編集長の目」第6回

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第6回 2009.11.1 軍艦島の波間に…

ナバ 高田容冶氏

英文毎日編集部長、毎日デイリーニューズ
編集長

福井 聡 (ふくい さとし)

1954年名古屋市生まれ。80年毎日新聞入社。甲府支局、東京社会部、外信部、90-93年アフリカ特派員ハラレ支局長、93-95年同ヨハネスブルク支局長、99-03年ウィーン支局長、03-05年外信部副部長、05-09年パリ支局長、09年4月から現職。著作 『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)、『南アフリカ 白人帝国の終焉』(第三書館)。
パリ支局長時代の経験をもとにフランス社会の抱える問題について書かれたコラム「ボボたちのパリ」も同時連載中です。>>連載コラム「ボボたちのパリ」

遠くから見ると軍艦にそっくり。長崎市南西沖約17.5`bに浮かぶ端島(軍艦島の正式名)は、約6.3fの小さな無人島だが、かつて隆盛を誇った石炭産出の歴史と、コンクリートの塊りの異様な風貌から旅情をそそられる。

軍艦島は「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産の国内暫定リストに入り、今春から上陸ツアーも始まった。毎日デイリーニューズ(MDN)は10月から「トラベル」欄を設け、そこで上陸ツアーに参加した毎日記者の記事を翻訳し、掲載した。

すると、東京在住の米国人読者から「この記事は一面的過ぎる。軍艦島の人々は当時、過酷な労働条件の中で半ば強制労働を強いられ、島から自由に外出も許されず、鉄筋アパートで『タコ部屋』のような状態で暮らしていた。単なる観光地としてだけでなく、より正確な歴史解釈に基く記事をのぞむ」とのメールが届いた。

私は軍艦島に行ったことはなく、過酷な強制労働があったかどうかなど知らない。ただ、記事の中にも横手一彦・長崎総合科学大学教授の「グロテスクと見るべきです。小さな岩礁に非人間的な居住空間を作ってまで企業は利益を上げてきた。ここまでして、人間とは自らの欲得を成し遂げようとするものだ、と受け取る方が正確なのかもしれません」との紹介もあり、過酷な歴史があったろうことは十分想像できた。

しかし、調べてみると、軍艦島の石炭生産量が最盛期だったのは1941年で、人口が最盛期だったのは1960年(5267人、人口密度は83,600人/km2で当時世界一)だという。1940〜60年代の日本で「過酷でない労働現場」というものがあっただろうか。終戦から高度成長期に向かう中で、日本人は労働者の権利や人権などお構いなしにがむしゃらに働き続け、それでいて21世紀の日本人より表情はよほど輝いていたのではなかったろうか。

北海道や九州の炭鉱ではしばしば事故が起き、水俣病やイタイイタイ病など公害も表に出てきた。「タコ部屋」と呼ばれようが「ウサギ小屋」と呼ばれようが、文句をいう人など少なく、日本人が労働者の権利を主張しだしたのは70〜80年代、正確にはバブル後の90年代ではないだろうか。もちろん物事はすべて「光と影」を見るべきで、読者の声は大変参考になった。ーーというような内容で丁重に返信を書いた。返事はない。

どんな島だったんだろう?船の立てる波間に浮かぶ軍艦島の写真がまぶたから離れない。読者の指摘で旅情は一層高まった。


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