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コラム「留学体験のimpact」第4回

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第四回:複数の“住”経験で得た異文化体験

毎日エデュケーション 高橋あつ子

株式会社 毎日エデュケーション
広報・マーケティング担当 

高橋あつ子

アメリカ留学中に目の当たりにした市民運動やボランティア活動に共鳴。帰国後、外資系企業の広報等に携わる一方で、人種差別反対運動や人権擁護、環境保護運動などに関わり、ついには国際協力NGO(一般財団法人 民際センター)に転職。
<注> コラム寄稿時は、同団体勤務でしたが、2009年2月からは(株)毎日エデュケーションに転職。

5年間の留学中、“住”環境と同居人がめまぐるしく変ったおかげで、ユニークな異文化体験が出来た。

最初の1年間でホームスティ先を3つ変えたが、全て離婚した女性が働きながら子ども(たち)と住む家だった。食と住を無料で提供してくれる代わりに、“ベビーシッター”として、親がいない時(主に晩)家にいることが条件だ。平日の昼間は学校に行き、週末は基本的に自由ということもあり(私にとっては“好条件”)、限られた予算で生活しなければならない留学生の中には、このホームスティを選ぶ学生がかなりいた。また、もしベビーシッター以外の仕事を、次々と留学生にやらすような家だったら、別の家を探せばよかった(すぐ次はみつかる“市場”だった)。それに、学校の勉強に加え、ホームスティ先の米国人家族と、常に英語で話すことは、英語力を身につける早道でもあった。

コミュニティカレッジに入学してまもなく、アパートで留学生と一緒に住むことにした。会話力もある程度身に付いたし、多少なりとも時間的制約があったホームスティをもう“卒業”した! ルームメイトは3人変った。最初は中国人、次はタイ人、最後はエルサルバドル人。生まれて初めて会う国からの留学生だった。語学学校時代は香港と台湾からの留学生には複数出会ったが、中国本土の学生は初めてだった。共産圏からどういういきさつで米国に留学できたかは理由を聞いたかもしれないが覚えていない。覚えているのは、ある晩部屋で、共産主義と民主主義について議論をし、互いに熱くなりすぎて気まずい思いをしたことだ。こういった経験を踏まえ、生活を共にするルームメイトとは、政治的な質問や議論をすることを控えるようになった。

しかし、今振り返ってみれば、出会うチャンスの非常に少ない異国のルームメイトと、もっと親しくなればよかったと後悔している。特にタイは、現在、私が働くNGOが支援する国だ。ルームメイトだったタイ人は私費留学生で家が裕福だったようだが、その時に、タイの教育事情や貧富の差などを聞いておけばよかったと思う。とりわけ、エルサルバドルはタイ以上になかなか訪れるチャンスがない遠い異国の地だったのに・・・。

最後の“住”は、下宿体験だ。ルームメイトと暮らした安アパートには日本では見たこともない大きくて茶色の“飛ぶ”ゴキブリも同居(笑)していたこともあり、そして帰国まで残り1年半ということもあり、もうちょっと小ぎれいな部屋(安くて)に住みたいと思い、州立大学に転入後しばらくして、大学近くの1人暮らしの高齢女性の家に間借りした。彼女はユダヤ人差別があったロシアから米国に命からがら移住してきた女性だ。なかなか快適な住環境だったが、やるせない出来事が一つあった。ある日、エリザベス・テーラーが出ている古い映画を一緒にテレビで観ていたら、そのユダヤ系米国人女性が、「あなたたちの国にも美しい人がいるでしょうけど、肌の色は・・・イエローよね・・・ 私たちは、エリザベスのように、白く美しい肌をもつ人種よ」と言ってのけた。耳を疑い、凍り付き何の言葉も出てこなかった。沈黙で抗議の意を示した。ユダヤ差別に苦しんできた人で差別に敏感になっている(はずの)人からでる言葉だろうか・・・・ 自分自身の差別には敏感で、それ以外は他人事なのか?

住環境と同居人をいろいろ変えたことで、なかなか興味深い経験もしたが、そうではない経験もした。しかし全てをひっくるめて、意味のある異国の地での住体験だった。これから留学に行く人は、複数の住まいと同居人生活を体験することをお勧めする。先ずは、安上がりのホームスティから!



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