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コラム「Where there is a will, there is a way.〜意志あるところに道は開ける〜」第13回

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グローバルキャリア塾・連載コラム

Where there is a will, there is a way.
〜意志あるところに道は開ける〜

> > 文美月さん

第13回:他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる

ヘアアクセサリー製造販売・リトルムーンを経営。
同志社大学経済学部卒業、日本生命の総合職を経て韓国留学、結婚・出産。2001年専業主婦で自宅のPC一台から起業。出産後の再就職が難しく「一生クビにならずに働くには、自分で自分を雇うしかない!」と感じたのがきっかけ。2004年〜最良最強のパートナーである夫が加わり、夫が社長に。ともにヘアアクセの商品オリジナル化を進め、特許取得、海外工場を作りSPA化。その後卸も開始。
●日本最大級の品揃えヘアアクセECサイト「リトルムーン」の運営責任者。2011年末時点のヘアアクセサリー販売総数は、375万点以上。
●2011 楽天Shop of the year ジャンル賞、2006年ジャンル大賞を受賞、ほかEC系受賞多数。
●約11万「いいね!」を世界から獲得(2011年末時点)するFacebookページの管理人。
●2010年〜大阪府のプロジェクト、大阪通販道場で師範を務め、大阪活性化に携わる。
●2010年〜ラオス訪問、日本でユーズドヘアアクセを回収して途上国へ送るCSR活動を継続中。
●起業、女性のキャリア形成、EC、facebookのビジネス活用等に関する講演も行う。

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

これは、私の大好きな言葉の一つです。他人や環境・過去のせいにして「○○が変われば私だって・・」「○○だったから(仕方なくこうなった)」とネガティブに自分を捉える時がありますが、それをどれだけ繰り返しても状況は好転せず、何も変わりません。今自分が置かれている状況は、自分の今までの小さくも膨大な選択の積み重ねで出来ているのです。自分の入った学校、就職、結婚、起業・・。無理やり強制されたわけではなく最終的に自分が受け入れているのであれば、それは自分の選択・決断です。今日誰と会って何を話すか、一日をどう過ごすか、全て自分で決めているのです。身にしみる厳しい言葉ですが、逆に言えばこれからの自分は自分の選択次第でいかようにも変えられるという意味であり、未来の自分は今後の小さな選択の積み重ねだという希望の言葉なのです。

在日コリアンの私は、小さい頃から何度も父にこう言われました。「将来、必ずしも好きな仕事に就けるわけではない」「必ずしも好きな人と結婚出来るわけではない」。今思うと父は何とネガティブな事を子供に繰り返したのかと驚きます(笑)。父は子供を褒めて育てるようなタイプではなくいつも厳格でした。「人の何倍も努力して、やっと普通に並べると思え」「就職出来ないかもしれないから、勉強して手に職をつけろ」と。父の苦労を知るにつれ私は父の言葉に納得し、単純な性格も手伝って素直に聞き入れました。どこかで父に褒めてもらいたいと気持ちもあったのでしょう。

大学生の頃バブルがはじけ、就職氷河期といわれる90年代前半に就活時期を迎えました。日本企業(特に大手)への就活を行う同胞の友人や先輩は周りにはおらず、私も大学入学当初は就職を半ば諦めていたので、将来資格で独立でも出来ればと会計学校とダブルスクール生活でした。大学の就職部にも相談してみると「大企業への就職は前例がない(あったとしても通名での就職だと集計できない)ので正直、分からない。同胞の企業に就職されては?」と今ひとつ納得出来ない回答でした。私は真実は自分でやってみないと分からないと思い、ダメ元で手探りの就活を開始。最終的には自分の大学からまだ枠のなかった所に内定を頂き、その報告をした就職部の先生がひっくり返りそうになっておられたのを今も思い出します。私はあまりの怖いもの知らずで、場違いな所にラブコールを送ったのかもしれませんが、そうやって就職できた会社も今思うと強いご縁があったのでしょう。(コラム第2回参照)

私の親も親戚も全員自営業。その当時私の周りでは誰も日本企業に就職するという発想がありませんでした(現在は企業勤めのいとこ達がいます)。母を含め親戚内で女性で働いている人はいません。韓国慶尚道の「男性が強い」という土地柄もあったのか、女性は家にいて子供の面倒を見るのが当たり前という風潮の中で私は育ったので、金融機関の総合職で転勤もある仕事だと告げると、母はいい顔をしませんでした。数年後東京転勤が決まった時には「今からでも断りなさい。女の子が家を出て働くなんて、人に言えない。会社に事情を話すから電話を貸しなさい」くらいの勢いでした(笑)。

そんな私ですが、今はある程度自由な仕事スタイルを作り上げています。両親も親戚も私の気持ちを理解してくれ、皆応援してくれています。私は自分でこれだと思うとあまり人の言う事を聞かずに行動を起こすところがありますが、その代わりに結果で応えたいと思うのです。自分が主役の人生なのに、国籍だとか、親にネガティブな事を言われて育ったとか、就職実績に乏しいだとか、母親は働くのが難しいだとか、そんな事を理由にしたくはないのです。むしろそういったハードルがあったおかげで、私は人の何倍も考える機会に恵まれました。多くの場面でマイノリティ(学校でも会社でも周りと民族が異なり、社会では子供を持つ母であり経営者)ですが、だからこそ気付く点も多く、今では自分の育った環境こそ私の強みだと気づき、いろんな人や事象を受け入れられる多様性のようなものも身についた気がします。私に何が出来るというわけではありませんが、若者や女性、社会のマイノリティーの人のためにも、気持ちの分かる私が頑張ることで誰かに勇気が与えられるかもしれない、そう思っています。

今のように大変な世の中ですと、なかなか思い通りにはならない事も多いと思います。私が経営者として今まで採用に関わってきた経験上ですが、就職試験が難しいからとテクニックで外枠を作り、立ち居振る舞いがこなれた“合わせ上手”の若者には私はあまり興味がありません。少し話せば、その人の芯はすぐに分かるものです。守るべきものが増えてくる30代、特に40代以降、自分の器量を大きくするのは難しくなってきます。たとえ荒削りでも、若い間に自分の興味を探求し、壁にぶつかり悩みながら多くの失敗を学びのタネをまいた人が、40代50代以降豊かな穂を実らせ刈り取っていくのではないか、そんな風に私は感じています。自分と未来は、変えられるのです。



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