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コラム「Where there is a will, there is a way.〜意志あるところに道は開ける〜」第14回

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グローバルキャリア塾・連載コラム

Where there is a will, there is a way.
〜意志あるところに道は開ける〜

> > 文美月さん

第14回:私が韓国のバスケットコートに立つという意味(1)

ヘアアクセサリー製造販売・リトルムーンを経営。
同志社大学経済学部卒業、日本生命の総合職を経て韓国留学、結婚・出産。2001年専業主婦で自宅のPC一台から起業。出産後の再就職が難しく「一生クビにならずに働くには、自分で自分を雇うしかない!」と感じたのがきっかけ。2004年〜最良最強のパートナーである夫が加わり、夫が社長に。ともにヘアアクセの商品オリジナル化を進め、特許取得、海外工場を作りSPA化。その後卸も開始。
●日本最大級の品揃えヘアアクセECサイト「リトルムーン」の運営責任者。2011年末時点のヘアアクセサリー販売総数は、375万点以上。
●2011 楽天Shop of the year ジャンル賞、2006年ジャンル大賞を受賞、ほかEC系受賞多数。
●約11万「いいね!」を世界から獲得(2011年末時点)するFacebookページの管理人。
●2010年〜大阪府のプロジェクト、大阪通販道場で師範を務め、大阪活性化に携わる。
●2010年〜ラオス訪問、日本でユーズドヘアアクセを回収して途上国へ送るCSR活動を継続中。
●起業、女性のキャリア形成、EC、facebookのビジネス活用等に関する講演も行う。

今年の5/11〜5/13、私はママバスケで日韓親善試合を行うため渡韓します。

私は10歳でミニバスを始め、中・高・大とバスケを続けました。その後は仕事や結婚出産など環境が変わり、完全にバスケから身を引いていたのですが、ふとしたきっかけで復帰。16年のブランクを経て、現在もママバスケットをやっています。

日韓親善試合で着るウェア「ママバスケ?バレーなら聞いた事があるけど」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、ママバスケは意外に競技人口が多く、大阪府下での“家庭婦人連盟※”登録だけでも25チームほどあります。(※35歳以上、もしくは年齢制限なしの既婚者で競技を行う連盟)。

去年大阪でその全国大会があり、韓国のママを招いて大阪選抜と日韓親善試合がありました。韓国側は、来日した10数名のプレーヤーのうち4名が元韓国代表。昨年の大阪府選抜チームに幸いにも私も入る事が出来、今年は韓国側が逆に招待してくれるというわけです。

元々大阪は人口も多い分バスケ人口も他府県より多く、今回の選抜には元全日本でキャプテンを努めた方がいます。他にもインハイ経験者や元実業団の方など・・萎縮しそうなレベルです。私も一応高校時代、県の国体選抜メンバーでしたが、ついていくのに正直必死。

私たちのバスケへの思いは熱く真剣です。年齢的には40代に乗った私でも実は若手の方。なのに皆さん走る走る!40代が中心とはいえ、50代の先輩方の颯爽としてカッコいいこと!私も自分なりに体力があるほうだと思ってはいるものの、他のメンバーの運動量の多さについていくのは大変です。先輩方の手前苦しいとは絶対に言えない言ってはいけないと感じた私は、2試合8クォーターを走りきるだけの体力維持を目標に、ランニングなどのトレーニングをしています。

さて、バスケの話が長くなりましたが、そんな私が大阪府選抜&日本代表の一員として、JAPANと書かれたシャツを着て韓国のママと親善試合のために渡韓します(JAPANの文字には恐れ多くて緊張します)。今も韓国籍を持つ私ですが、日の丸マークはすーっと心に入ってきます。日本生まれ日本育ちの私には、日本がやはり一番なのでしょう。そして次に、縁深い韓国です。

実は私は今、文(ぶん)という韓国のルーツを残したままの姓で、日本に帰化申請中です。実業家の孫正義(そんまさよし)さんやサッカーの李忠誠(りただなり)選手と同じ、韓国名のまま日本国籍を取る、と言えば分かりやすいでしょうか。

在日コリアンには、本名か通名か帰化するかしないか、人それぞれ生き方の選択はいろいろあり、私はすべての選択を尊重してます。私は18歳まで通名(日本名)で学校に通い、周りにはコリアンである事を黙っていました。本名で通った大学、少しだけ他の方より苦労した就職活動、そして言葉も話せなかった韓国への留学、そして結婚・・。自分が社会復帰する時の苗字について考えた事、子供を本名で学校に通わせて大丈夫かと小学校の先生方とお話した事、インターネットで仕事をする中で嫌な思いをした経験があり、二倍頑張ろうと決意した事・・・。そんな自分に対し、私は本名を名乗った18歳以降逃げずにアイディンティティと対峙し続けてきたという自負があります。そして年齢も40を超え、やはり永住の地・日本の国籍を持つのが自分には自然なのではないかという結論がようやく見えてきて、今回の帰化申請にいたりました。私はコリアン系日本人と周りにもはっきり分かってもらった上で、大好きな日本で堂々と生きる。それが私の答えです。

語学を学びたくて留学した韓国。幼い頃から悩みも多かったけど、結果として私の視野を広げてくれた韓国。精神的に強くなり、悩み以上の喜びを与えてくれた韓国。留学生だった夫と出会った韓国。仕事のチャンスを求めてゼロから飛び込んだ韓国。

諦めていたバスケに復帰できただけでも信じられないのに、まさかこの歳でバスケ人生最高のチャンスが来るなんて。しかも舞台は韓国。これは夢なのかな、と思うほどです。帰化申請が今年中に通れば、パスポートに押される最後の渡航国のスタンプも韓国、という事になるかもしれません。

私はソウルの体育館に立った時、どんな気持ちになるでしょう。どんな事があっても得点をして日本に帰ってきたい。次回のコラムではその実体験について書きたいと思います。



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