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コラム「支援現場で会った人びと」第6回

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第6回:海外事務所のスタッフ ―― NGOで働く動機

1961年生まれ。大学4年の時に起こったエチオピア大飢饉で欧米の学生が次々に支援地域に出かけるのを見て、 いつか自分もと思っていた。サラリーマン時代にパレスチナの難民キャンプ支援をするNGOとかかわったのがきっかけで、 この世界に。現在、東南アジアの経済的に貧しい子どもたちの教育支援をしているNGO民際センターのファンドレイジング事業開発部第一部長。

■ 民際センター HP: http://www.minsai.org/
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■ 毎日エデュケーションは民際センターのダルニー奨学金を支援しています。
http://www.myedu.co.jp/csr/1percent.html

民際センターは現在、メコン流域5ヵ国(ラオス・カンボジア・タイ・ミャンマー・ベトナム)で教育支援事業を行っており、それぞれの国に事務所があります。今回は各事務所で働くスタッフ(仲間)を3人紹介します。

チャンディさん
▲カンボジア事務所の局長、チャンディさん

カンボジア事務所で働く事務局長のチャンディは、ポルポトの虐殺が始まった時、14歳でした。都会から追い立てられ、家族がバラバラになり、3年の間、わずかな食料で1日中、強制労働をさせられました。来る日も来る日も朝から晩まで、ツルハシやスコップなどを手に開墾や水路の建設作業等をさせられたのです。この間、お父さんを含む親族10名が殺されました。ポルポト時代が終わった後、プノンペン大学に行き、さらに政府の奨学金を得て旧ソ連に1年間留学しました。1991年に和平協定が結ばれ、世界中から支援やプロジェクトが来るようになると、彼は日本のプロジェクトの現地採用管理職として採用されました。そして2008年、民際センターのカンボジア事務所に勤務。「農村部にはまだ貧困がはびこっている。そこで暮らす人々が貧困から抜け出すには、何よりも教育が必要。教育の普及こそ、この国の発展になくてはならないもの」と考えたからです。

プーさん
▲タイ事務所で働くプーさん

プーは大学生時、農村開発の調査でタイ東北地方の貧しい村に滞在。その村の人々は教育がないため、政府が提供している様々なサービスについて何も知らないことに気がつきました。彼らは読み書き・そろばんができなかったのです。「彼らに必要なのは教育」と考え、同地方の子どもに教育支援をする団体、すなわち、現在のタイ事務所で働き始めました。働き始めて、なぜ日本人がよその国の子どもを支援するのか疑問に思いました。いろいろ考えた末、「日本人は国籍に関係なく、人間はみな教育を受ける権利を持っていると考えるからだ」という人権意識に思い当たりました。

ジョイさん
▲ラオス事務所で働くジョイさん

ラオス事務所で働くジョイのお父さんは小学校2年生まで、お母さんは小学校にすら行くことができませんでした。2人とも貧しい農家に育ち、学校に行く余裕がなかったからです。しかし、子どもの教育には熱心で「お前たちの時代は頑張って勉強すれば、ちゃんとした生活ができる、と私を励ましてくれた」とジョイは語ります。高校で優秀な成績を収め、日本の文科省から奨学金をもらって、1991年から7年間、日本に留学。帰国して、民際センターのラオス事務所に勤務しました。「支援の現場に行くたびに、私の子どもの頃を思い出して、彼らのために役に立ちたいという気持ちになる」といいます。

3人に共通しているのは、彼らの視野が自分や家族を超えて広く社会全体に及んでいることです。しかも、目線を低く置くことを心がけ、困難を抱えた人々に積極的にかかわろうとするエネルギーに溢れていることです。



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