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コラム「支援現場で会った人びと」第7回

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第7回:「でも、我々には石がある」

1961年生まれ。大学4年の時に起こったエチオピア大飢饉で欧米の学生が次々に支援地域に出かけるのを見て、 いつか自分もと思っていた。サラリーマン時代にパレスチナの難民キャンプ支援をするNGOとかかわったのがきっかけで、 この世界に。現在、東南アジアの経済的に貧しい子どもたちの教育支援をしているNGO民際センターのファンドレイジング事業開発部第一部長。

■ 民際センター HP: http://www.minsai.org/
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http://www.myedu.co.jp/csr/1percent.html

民際センターに勤務する前、パレスティナのベツレヘムにある難民キャンプで支援活動をするNGOで働いていました。3年間は現地で働くつもりで2000年8月に赴任。しかし同年9月28日、イスラエルの右派リクード党首のアリエル・シャロン氏(当時)がイスラムの聖地アルアクサモスクに入場したことから第2次インテファーダが勃発。やむなく半年で帰国せざるを得ませんでした。

インティファーダとはアラビア語で「民衆蜂起」という意味です。第1次では、パレスティナの子どもたちがイスラエル正規軍に石を投げて抵抗したシーンが世界の共感を呼びました。鎮圧に失敗したイスラエル政府は力だけでは抑えられないと判断して、それがオスロ合意につながりました。しかし2次は両者の歩み寄りが見られず、パレスティナ側に5,000名を超える死者が出ました。パレスティナ側の自爆テロ攻撃が頻発し、ヨルダン川西岸に分離壁が建設されました。紛争は泥沼化し、現在も進行中です。

第2次インティファーダで子どもたちが石を投げている間、私はそのすぐ近くのカフェでパレスティナの大人たちと話していました。いささか厳しい質問をしたことを覚えています。


「子どもたちが命を賭して石を投げて戦っているけれど、大人は見ているだけですね」

「私たちに何をしろとうのか。何もできない」

「オリーブの木は切られてしまう。井戸は掘ってはいけない。漁業は禁止。新しい工場は建設できない。パレスティナの産業といったらタクシーだけさ。そして、イスラエル人が私たちの土地に次々に入植して住宅を建設している。そして私たちが生産する窓やドア、床や壁、ドアなどの住宅資材を、土地を占領する彼らに売って生活を立てている。皮肉なものさ。でも他に生活の方法がない」


数日後、近くの文房具屋さんに行ってコピーを取りながら、その店主とこんな会話をしました。

「昨日はイスラエルのヘリコプターが真夜中ずっと上空を旋回していました。いつミサイルを発射するか分からないし、それにブルンブルンという音がうるさくてよく眠れませんでした。ご主人は眠れましたか?」

「いや、私もよく眠れませんでした」
寝不足のためか、目がちょっと赤いようでした。

「この紛争は今後、どうなるのでしょうか?イスラエルの軍隊は強力だし、さらにアメリカが支援をしています」

店主は、小さな声で答えました。
「でも、我々には石がある」


店主は優しく微笑みましたが、目は悲しげでした。



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