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コラム「写真に込める一瞬のエネルギー」第2回

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写真に込める一瞬のエネルギー

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第2回:「毎日、あなたのために祈ります」

安田 菜津紀さん

studioAFTERMODE 所属
フォトジャーナリスト

安田 菜津紀

1987年生まれ。2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題などの取材を始める。2008年7月、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。2009年日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。主な写真展に2010年「緑の村」HIVと共に生きる(コニカミノルタプラザ)など。上智大学卒。

◆オフィシャルサイト   http://www.yasudanatsuki.com/
◆ブログ   http://ameblo.jp/nyasuda0330/
◆Twitter http://twitter.com/NatsukiYasuda

※まずは東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方のご冥福、そして被災者の方々のご無事を心よりお祈り申し上げます。今回のコラムでは当初の予定を変更し、3月11日からのことをこちらに書かせていただきます。

3月11日。私は前日にフィリピン・マニラ入りし、その日は首都から北に3時間ほど走ったサンバレス州にいました。焼けるような太陽が午後の街を照りつけ、つい機能までいた冬の終わりきらない日本の風景が遠い存在にさえ感じられました。

それは日本からの一本の電話から始まりました。「東北で大きな地震があったようです。まだ詳細はわからないのですが、お知らせしておこうと思いまして」。最初の知らせはとても穏やかな口調でした。けれどその後、信じられないようなニュースが次々と入ってきたのです。そして同じアフタモード所属のジャーナリスト、佐藤慧のご両親が、陸前高田で被災したことも。

3月12日、地震が起きた翌日。フィリピンにも1メートルの津波が到達していたことを知りました。大地震、津波、そして原発のニュースはたちまちフィリピンに広がり、新聞の一面は陸前高田、原発事故現場、仙台と、皆被災地の写真でした。東北はたくさんのフィリピン人が、日本の男性と結婚し、暮らしている地域でもあります。日本の被災地の現状を伝えると同時に、『1,300人のフィリピン人の安否不明』という文字が各誌に並んでいました。募る不安と焦り。

そんな中でもフィリピン人の方々から、たくさんの励ましの声を頂きました。その場で目を閉じて祈りを捧げてくれた運転手さん、メッセージカードをくれた青年たち。なんとゴミ集積場近くのスラム街でも募金活動が始まり、一日に1000ペソ(約2000円)が集まったという報告もありました。

フィリピン国内だけではありません。遠く離れたウガンダから、一番お世話になったレーガン一家が電話をくれました。一家の大黒柱を亡くし、お母さんそして13歳の息子のレーガン自身もHIVによって苦しんできた一家。きっと近所の人からお金を借りてかけてきてくれたのでしょう。イラクからは、治安の悪い地域の一つであるモスルからも、友人が電話をくれました。「毎日あなたのために祈ります」と。自分自身も、とても大変な状況にいながら。

そんなイラクの友人たちが、難民となって隣国に逃れたときにくれた言葉を思い出します。「月のない夜には、明かりを灯せばいい。明かりがなければ、蝋燭に火をつければいい。蝋燭がなければ、暗闇に目が慣れるまで耐えればいい。やがて、太陽が昇り、光に包まれるだろう」。希望を失わず、前に進もうとする彼らの意思でした。

私たちアフタモードも中心となり、現在NPO「みんつな」という団体を立ち上げました。佐藤を中心に取材、ニーズ調査を進め、長期的な支援のための活動をしていきます。

http://www.mintsuna.net/

一日も早い復興のために、私たちも動いていきます。




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