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コラム「写真に込める一瞬のエネルギー」第4回

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写真に込める一瞬のエネルギー

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第4回:16歳で見たカンボジア

安田 菜津紀さん

studioAFTERMODE 所属
フォトジャーナリスト

安田 菜津紀

1987年生まれ。2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題などの取材を始める。2008年7月、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。2009年日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。主な写真展に2010年「緑の村」HIVと共に生きる(コニカミノルタプラザ)など。上智大学卒。

◆オフィシャルサイト   http://www.yasudanatsuki.com/
◆ブログ   http://ameblo.jp/nyasuda0330/
◆Twitter http://twitter.com/NatsukiYasuda

「大丈夫ですか?いつでもうちに逃げて来てくださいね。大歓迎ですから」。
3月11日、東日本大震災が起こってから、真っ先に連絡をくれたのは、カンボジアの友人たちでした。電話から聞こえてくる声、メールに添えられた言葉のひとつひとつに、彼らの気遣いが精一杯込められていました。

このカンボジアという国が、フォトジャーナリストとしての私の原点です。この国と向き合う度に、なぜ自分がここに足を運び、なぜカメラを手にするようになったのか、初心に返ります。

遡ること中学時代、父と兄を相次いで亡くしました。それ以来、毎日様々な疑問が頭の中を渦巻いていたのです。家族とは何なのだろう。人と人との絆って何だろう。そして人はなぜ、限られた命の中で人を傷つけていくのだろう。ただもやもやと、答えが出せない日常の中で苛立ちだけを募らせていました。「どうせ分かってくれない」、それが当時の私の口癖でした。

転機が訪れたのは高校2年。「国境なき子どもたち」の友情のレポーターという企画に出会ってからです。アジアの国々に日本の子どもたちを派遣して取材をさせるというこの企画、最初は全く興味がありませんでした。けれど何か直感のようなものが働いたのです。「全く環境の違う中で育ってきた同世代の子たちと出会うことができたら、自分の価値観が大きく変わるかもしれない」。このときたまたま派遣されることになった国、それがカンボジアでした。

私が主に時間を過ごしたのは、人身売買の被害に遭った子どもたち。普段は底抜けに明るい彼らですが、その裏に壮絶な過去を秘めていました。騙されてお金で売られ、働かされ、虐待され、そして刑務所生活を送った子どもたち。けれども彼らは、「どうせわかってくれない」とは、一言も言いませんでした。ただ一生懸命に自分自身の話をしてくれたのです。手を抜くことなく、真っ直ぐに。更に衝撃的だったのは、彼らが自分自身の身に起こったことよりも、まず家族の心配を口にすることでした。

「私は今こうして施設で生活できているけれど、家族は何も食べれていないかもしれない」
「自分は長女だからいち早く技術を身に付けて、家族を支えたい」
自分以外に守る人がいる同世代はこんなにも強いんだ。それに比べて自分は、自分のことしか守ろうとしてこなかった。心が脆いのは当然だ。自分も皆のように、誰かを守れる人になりたい。心からそう感じたのです。

人として生きる上で大切なことを教わった10日間。私はここで出会った友人たちに何かを返したいと考えるようになりました。けれど技術、資金力も、何もない私にとって、現地で直接役に立てることなどないに等しかったのです。唯一自分自身に残されていたのは、五感に残っているカンボジアを、1人でも多くの人々に伝えることだけでした。ではそこからどのようにしてフォトジャーナリストを目指すようになったのか?それはまた次回、お伝えしたいと思います。



2003年 カンボジア・タイ国境にて
2003年 カンボジア・タイ国境にて (写真提供:認定NPO法人「国境なき子どもたち」)



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