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コラム「ブータンの空の下から」第10回

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ブータンの空の下から

> > 片山理絵さん

第10回:そうだ、海外へ行こう! その1

片山理絵

ハワイ大学東アジア言語・文学部修士課程卒。在学中にブータン王国出身の夫と出会い、一年半の遠距離恋愛を得て、2001年4月に結婚。知り合った時は、ブータン王国という国が存在する事すら知らなかったが、12年の在ブ生活を得て、ブータンという国の歴史と文化の奥深さを知り、次第にはまりつつある。現在3人の子供を育てながら、夫の家族が経営するペルキルスクールの経営に携わっている。

■ ペルキルスクール   http://www.pelkhil.edu.bt
2010年に開校した中高一貫の私立学校。2013年からプレ・プライマリーのクラスもオープン。現在は450名の生徒が在校する。

  

中学生の時、中小企業に勤める母を見ていて「どうして女性だけがお茶汲みの当番になるの?」と疑問を抱いた。「そんな事に疑問を抱く様では日本社会では到底暮らせない。」と言う良識ある答えが母から返って来た。それからも私の「どうして?」は止まらず、むしろそれはエスカレートして行った。受験勉強をしていても全く気持ちが入らない。何の為に大学に行くのかが自分でもはっきりしないし、大学の試験に受かる為の勉強とは分かっているけれども、受験勉強は面白くないし、成績もちっとも上がらない。

それでも合格した大学があり、大学2年生の夏初めてイギリスに語学研修に行く機会に恵まれた。初めてのイギリス、わくわくは止まらなかった。海外に憧れていた私だが、このイギリスでの3週間は、良くも悪くも現実に向き合う事を私に教えてくれた。

全く英語が出来ない状態に近いレベルで、たかだか3週間ぐらい留学していても、英語のレベルは全く変わりはしなかった。クラスでもヨーロッパ人達は仲良くやっていたのに、英語が出来ないという引け目から、全くその輪には入って行けず、週末のピクニックや旅行でも、やはり日本人とずっと一緒にいる状態が続いた。

イギリスで人生初めての人種差別も経験した。ホストファミリーの家から毎日学校まで約20分ぐらい自転車で通っていたのだが、にわか雨の多いイギリスで、よくずぶ濡れになって帰る途中、道路脇にいたティーンネージャーに、「ジャッピー(日本人の差別用語)!」と叫ばれる事も数回あり、一度は空き缶を投げられもした。

ここまで書くと、私の初海外はとってもネガティブに聞こえるかも知れないが、私にとってこの経験は「如何に自分が世界を知らないか」そして「異文化体験というものが今まで皆無であったか」を知るきっかけとなった。日本にいる時は英会話学校に通ったり、外国人の方々の集まり等に行ったりもしたが、そんなものと実際に海外で暮らすという体験は、当たり前なんだけれど全く異なっていた。

田舎町で育ってきた私には、そこで目にしていたものが自分の社会の常識であった。英語の教科書に「イギリスでは〜」と書かれていても「ふぅ〜ん」と思うだけで、知識として頭に入っていても、やはり異文化を理解はしていないという事が外国に来てからよく分かった。

私がイギリスでホームステイしていた家庭はシングルマザーで、お子さんが一人いた。たまに彼女のボーイフレンドも家に泊まり、数日帰らない事もあった。彼女は夜にバーで働いていたので、私が学校に行く朝はいつも寝ていた。子供がたまに起きていても独りでテレビを見ているだけで、お母さんに学校に行く前に会う事は最後まで無かった。それでもお休みのある時には、日本とイギリスの事をいろいろと二人で話した。彼女と話ながら、如何に自分が海外の事をろくに知らず、自国も知らないという中途半端な状態であるかを痛感した。

自分が描くお母さん像とは全くかけ離れたホストマザーだったけれど、彼女は飛びっきり素敵な女性であり、親子の関係も凄く良かったので、日本での理想の母親像というものももっとパターンがあっても良いのではないか、と思い始めた。皆が皆同じパターンを目指そうとするから日本の女性が苦しくなるのではないか、と今から約20年前にイギリスの家庭を見ながら考えていた。

日本に帰って来てから「このままでは駄目だ。」と悩んだ。合コン、ディスコ、ショッピング、、、楽しい時は一時で、満たされない思いで鬱々たる日々を過ごした。何かが自分の生活に足りなかった。大学生活は全く楽しくなかった。このまま大学を卒業して、会社に入って、結婚して、子供を産んで、、、そんな普通の人生をこれから私は送るのだろうか?でもその普通って何だろう?

そして教育実習で母校に帰った時「はっ」と気づいた。「自分には他人に語れるものが何もない。」

そんな時、在籍していた大学がアメリカの大学と初めて姉妹校の提携を結び、交換留学が始まる事となった。私はこういったタイミングを全く根拠は無いけれども、何かのサインと信じていて、「これだ!」と思い直ぐに応募した。同期生は就職活動に忙しくしていた大学4年生の夏、私はアメリカのオハイオ州立ケント大学へと飛んだ。

そしてこのアメリカでの留学生活が、私の人生を又違う方向へと導く結果となった。さてアメリカで何があったのでしょうか?次回をお楽しみに!


【参考】 イギリス語学研修先はこちら
Emmanuel College - part of the University of Cambridge



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