スマ-トフォン向けサイトへ
サポートセンター

コラム「ブータンの空の下から」第13回

トピックス

グローバルキャリア塾・連載コラム

ブータンの空の下から

> > 片山理絵さん

第13回:祈りについて

片山理絵

ハワイ大学東アジア言語・文学部修士課程卒。在学中にブータン王国出身の夫と出会い、一年半の遠距離恋愛を得て、2001年4月に結婚。知り合った時は、ブータン王国という国が存在する事すら知らなかったが、12年の在ブ生活を得て、ブータンという国の歴史と文化の奥深さを知り、次第にはまりつつある。現在3人の子供を育てながら、夫の家族が経営するペルキルスクールの経営に携わっている。

■ ペルキルスクール   http://www.pelkhil.edu.bt
2010年に開校した中高一貫の私立学校。2013年からプレ・プライマリーのクラスもオープン。現在は450名の生徒が在校する。

  

今年86歳になる私の祖母の朝は、お仏壇にロウソクを灯し、お線香をあげ、そしてお経を唱える事から始まる。そして寝る前にも鈴を鳴らし、一日のお礼を述べて布団に入る。小さい頃から祖母と一緒に寝ていた私は、ある年齢から祖母を真似て毎晩祈る様になった。小さい頃のお願いは唯一つ。「悪夢を見ません様に」(笑)

それから祈る事が日常の習慣となった私は、大学で家を出てからも、海外の留学先でも、ブータンにお嫁に来てからも毎日必ず祈っている。仏教国ブータンにお嫁に来てからは、自然に「祈り」が以前にも増して身近なものとなり、自分の生活の一部となった。改めて考えてみると、祈るというのはとても気持ちの良いもので、他者の為にも祈り始めると、何とはなしにエネルギーさえ感じられる。「祈り」は実は人間には不可欠なものではないかとさえ私は思い始めている。

仏教国ブータンには、国の至る所に「祈る場所」がある。家の中に仏間があるのは当たり前で、仏塔や「ネー」と呼ばれる神聖な場所はそこら中にある。ブータンの人はそういった場所に足繁く通う。平日でも学校や会社の帰りに、あらゆる年代の人々がそういった場所に赴き、お経を唱えたり、見知らぬ人とおしゃべりをしたり、ただ黙々と時計回りにその場所を廻ったりしている。休日にもなると家族全員でお寺に出かける人たちが多い。ブータン人は何かにつけお寺にも足を運ぶ。子供が産まれたり、誰かが病気になった時に行くのはもちろんだが、何もない時にでも「生きとし生ける物」の為に祈る。彼らにとって祈りに行くという事は特別なものではなく、祈る事によって、人間にとって大切な「希望」の気持ちが生まれ、それが彼らの生活を潤している様にも思える。

ここで一つ最近私自身が体験した祈りの例を紹介したい。8月16日は学校シニア部(中高校生)の「体育祭」であった。低気圧の影響でヒマラヤ山脈一帯からインド北部は厚い雲に覆われ、一週間大雨の予報であった。そして実際に雨は一向に止む様子はなく、毎日ざあざあ降りのお天気だった。

▼体育祭の準備は進むものの、雲に覆われるペルキル・スクール
校庭

体育祭の前日、ブータンの学校朝礼は「文殊菩薩」様へのお祈りから始まるのだが、その日の朝は「雨が止むお祈り」を学校のシニア部皆でやった。物凄く力の入ったお祈りの声が上のホールから聞こえて来るので行ってみると、皆窓に向かって先生の鳴らす鈴でリズムを取りながら、お経を唱えている。十代の子供達がお祈りを唱える事事態、日本人の私にとっては不思議な光景なのだが、何と「雨が止む」というお祈りがあるという事にも私は驚かされた。少し懐疑的な私にブータンの先生は「このお祈りは大変効果があります。インド首相がお越しになられた時にもこのお祈りが奉げられました。」と自信満々。その日大雨は全く止む様子も無く、予行演習も中止となり、準備が全く出来ないままその日は暮れていった。

しかし、夜になりその雨がパタッと止んだ。私はベランダに出て雲を眺めた。雨季の特徴である低く立ち込めていた雲が高くなっていた。「これはもしかして、、、もしかするかも。」と私の心に少し希望の気持ちが出てきた。しかし夜中になって又雨が降り出した。何度も夜中に目が覚めた私は、雨が降っていればがっかりし、止んでいれば希望を持った。

そして体育祭当日。雨は完全に止んだ。予報では引き続き大雨にも拘らず、雲の合間から太陽まで見えていた。私は嬉々としてお祈りを指揮した先生に駆け寄り、「私達の願いが通じましたね。見事な天気です。」と言うと、興奮した様子も無く、当たり前といった表情で「祈りは通じるのです。」とにっこりと頷いた。

今の日本社会において、私達が取り戻さなければならないものは、実は「希望」ではないかと私は思っている。「祈りと共に希望がある」といった思いは、実は昔一人一人の日本人が当たり前のように持っていたものであった。社会が複雑化していく中で、人々は「祈る」という事を忘れ、その意味さえも考えなくなってしまった。

騙されたと思って、皆さんも試しに寝る前に少し祈ってみられては如何だろうか。自分だけの為ではなく、他人の為にも祈れば、不思議と心が落ち着いてくるものである。そういった祈りの時間は忙しい日本だからこそ必要かも知れない。

追伸:信じられないかも知れないが、体育祭後、後片付けが終わってから又もや大雨が降ってきた事実も合わせてここに記しておきたい。祈りは通じるのである。笑


▼体育祭は無事に決行
体育祭



Share (facebook)  このコラムをFacebookでシェアする。

  • カウンセリング予約
  • 説明会イベント
  • 資料請求

ページトップに戻る