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コラム「異文化体験おもしろ話」第1回

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第1回:「世間知らず」という特権

ナバ 高田容冶氏

株式会社ナバ
代表取締役

高田 容冶(たかだ よしはる)

東京都出身。米国カリフォルニア州ウッドバリー大学を中退して21歳で起業。以来、3件のベンチャー企業を設立。現在(株)ナバ代表。約25年間最先端の精密計測システムの開発を通じて日本の工業製品の品質管理に注力した後、1993年に日本でインターネットの商用サービスが始まったのを受け、情報の品質管理に移行。IT活用などを通じて世界の中小企業や職人の市場開発、国際化支援活動を展開中。

皆さんはじめまして。今年57歳になる高田です。留学に興味がある、あるいは真剣に計画中の方々に多少とでも参考になるならと思い、私の体験を時系列で紹介しますね。

私が高校を卒業したのが1971年。このコラムを読んでいる多くの方はまだ誕生していないでしょうから、どんな時代だったかを話しますと、1960年から約10年間学生運動が盛んに行われていて多くの大学が混乱の中にありました。一方、アメリカはベトナム戦争の真っただ中。良くも悪くも若者たちは自らの生き方を模索していたわけです。現在も私たちは大きな変化に直面していますが、当時もグローバル化の第一波の中で価値観の多様性に対応していくために試行錯誤を繰り返していたのです。

そんな状況の中で、本能的に高校を卒業したらアメリカに行こうと決めました。何故なら変化に対応する能力を身につけるには最も分かりやすく大きな変化を遂げていたアメリカで学ぶのが一番効果的だし自分にプラスになると直感したからです。みんなが必死に大学受験勉強をしている最中に一所懸命アルバイトに精を出して軍資金を稼ぎました。高校を卒業して半年間英語だけ勉強してTOEFLを受けて(当時はTOEIC®TESTはなかったです)点数はあまり良くなかったのですが、何とかビジネスカレッジとしては多少知られていたロサンジェルスのウッドバリー大学に入学できました。

でも、正直なところ自分が社会に出たら何をやろうとか、どんな会社に入ろうとか全く考えていなかった。私の場合はとにかく道を探して、そのためにまず新しい世界に飛び込んだ・・それだけでした。何も考えない世間知らずの若者だからこそできたことです。うまく行かなかったら、とか失敗したらとか一度も考えたことはありませんでした。変化を求めて変化の中に飛び込んで、そこで自分を探すというチャレンジでしたから、どんなことでも受け入れられたのだと思います。

今でも忘れませんが、ロスに着いて3日目、市内の公園でくつろいでいたら知らないオヤジがいきなりやってきて「Remember Pearl Harbor!!」とどなりながら追っかけてきた。30分以上逃げ回りましたよ。そんなことも凄く楽しかった思い出です。ロスで過ごした最初の夏は連日40℃を超える猛暑。大学の冷房が故障、自宅のボロアパートにはもちろん冷房はない。だからしょっちゅうバスに乗ってはサンタモニカの海岸に行って涼んでました。下の写真は1972年、私(一番左)が20歳のときサンタモニカで出会ったメキシコ人一家と撮った一枚です。

それではこの続きは後日ということで。これからどうなるか乞うご期待!

高田さん1972年、サンタモニカ

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