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コラム「ブータンの空の下から」第11回

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ブータンの空の下から

> > 片山理絵さん

第11回:そうだ、海外へ行こう! その2

片山理絵

ハワイ大学東アジア言語・文学部修士課程卒。在学中にブータン王国出身の夫と出会い、一年半の遠距離恋愛を得て、2001年4月に結婚。知り合った時は、ブータン王国という国が存在する事すら知らなかったが、12年の在ブ生活を得て、ブータンという国の歴史と文化の奥深さを知り、次第にはまりつつある。現在3人の子供を育てながら、夫の家族が経営するペルキルスクールの経営に携わっている。

■ ペルキルスクール   http://www.pelkhil.edu.bt
2010年に開校した中高一貫の私立学校。2013年からプレ・プライマリーのクラスもオープン。現在は450名の生徒が在校する。

当時の多くの日本の若者がそうである様に、アメリカは私にとって憧れの地であった。どこの州でも構わない。アメリカに行ってみたい、そこに一度住んでみたい、という強い気持ちが私にはあった。交換留学先としてやって来たのはオハイオ州にあるケント大学。この果てしなくど田舎にあるケント大学は、ベトナム戦争中、反対集会が大学構内で開催され、4名の学生が州兵により射殺された事で有名になった大学である。私が留学していた当時25,000人の学生数であったが、日本人は学部生から博士課程の研究者達を入れても10人もいなかった。

日本の小さな女子大学に通っていた私には何もかもが大きく見えた。校舎の大きさや広大なキャンパスはもちろんの事、スーパーマーケットで販売されている牛乳やスナック菓子のサイズまで巨大で「これがアメリカだ!」とワクワクした。

夏に語学研修のプログラムはあったが、秋学期に入ると、当たり前の様にアメリカ人と同じ様に最低科目数を履修しなければならなかった。私は日本で英語のスピーチに興味があり、クラスも取っていたので、「スピーチ」のクラスを履修科目の一つとした。そしてそのクラスで全く予想しなかったカルチャーショックを受ける事となった。

日本の大学で授業を受ける際、基本的には先生が講義をし、それをノートに取り、レポートを提出するのが普通だったのだが、このスピーチクラス、先生が講義している最中に、どんどんと生徒が自分の質問をしたり、意見を述べるのであった。私は「何と失礼な生徒達だ」と思いながら、彼らを見ていた。そして2週間が過ぎた頃、先生が私の方を見て「君はいつも黙っているけれど、全く意見が無いのかい?」と言った。思いもしなかった言葉に胸が痛んだ。「人の話は最後まで静かに聞く事が日本の文化です。」と取り敢えず私は言った。そのクラスでは一人の生徒が意見を述べ始めると、その話が終わらない内に違う生徒が意見を述べ始めるので、英語がまだまだ拙い私にはその話に入っていけるほどの勇気が実はなかったのであった。教授はにっこりしながら私に、「ここはアメリカだよ。自分の意見を述べないという事は何も考えていないのと同じ事なんだよ。」と言った。

正かここまでの文化的違いがあるとは思わなかった。そして学期中このクラスでは、常に自分の頭で考え、自分の意見を持つ事の重要性を徹底的に学ばされた。膨大な読書量、レポート、グループ・プレゼンテーション。全てが成績の評価対象となるので、グループプロジェクトにおいても、何とか興味深い発想をグループに持ち込む事によって、私なりの貢献が出来る様に努力した。そしてファイナルテスト。クラス全員が皆の前で一人ずつ自分の好きなテーマでスピーチをした。

私は「Robot Syndrom(ロボット・シンドローム)」というスピーチを発表した。このスピーチの内容を簡単に書くと、どういった形であれ一旦あるシステムに飲み込まれてしまうと、いつの間にか自分の意見を持つ事も無く、物事に疑問さえも抱かなくなってしまう。言われた様には動けるけれど、自分からは動けない。そういった状態はとても危険な事であり、このタイプの人間が増えてくると、第三者に簡単に集団として誘導される恐れがある。従って、自分の意見を常に持っておく事、そしてそれを常に意識しておく事の重要性について書いた。今から考えると、「スピーチ」のクラスを取っている学生達にとって、それはあまりにも当たり前の発想だったが、私自身にとっては、それはとても大きな気づきであった。このクラスを取った事において、自分の人生を又考え始めた。

自分はこれからどうしたいのだろうか?

留学から帰国し、家族に開口一番「私はもう一度アメリカへ行って勉強したい。」と言った。まだ何とははっきり言えないけれど、私が求めている何かのヒントがそこにはあり、やはりもう一度アメリカに行かなければ、という強い思いがあった。日本に着いたその日に「もう一度」というのだから、さすがの家族も呆れたと思うが、祖母も含めて私の家族は「自分でやるなら、好きな事をしたら良い」という家風なので、全く反対はなかった。それから、私の3度目の留学へ向けての挑戦が始まった。

最後の留学先となるハワイ大学では、「勉強」に対する私の姿勢が全く変われるという事を体験し、そして「これからはアジアの時代だ」と確信する様になります。苦手な英語は一体克服出来たのでしょうか?来月をお楽しみに!



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