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「日本人ママとキューウィー義父さん」第16回

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日本人ママとキューウィー義父さん

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第16回:薪を売る

マクリーンえり子

エバコナ EVAKONA
学校長

マクリーンえり子

1950年、東京生まれ。大学卒業後に1年間イギリスに滞在、帰国後は海事広報協会の旬刊紙「海上の友」記者。結婚して3人の子をもうけるが、1989年に母子4人でニュージーランド(NZ)に渡り、その後NZ人と再婚。1990年から地元の公立高校で日本語教師として教える。2001年に退職し、高校に隣接した場所で、NZの大学や高校に留学を希望する生徒たちのための準備校・補習校として語学学校EVAKONA(エバコナ) を開校する。2008年8月には共同通信社発信、日本全国34紙で掲載中の「日本遠望」でその教育活動が紹介された。ニュージーランドから電話、スカイプでの無料教育相談も受けている。

長男が晴れて大学を修了して家に戻ってきた。

ニュージーランドの大学は欧米の大学と同じで卒業するのが大変難しい。だから大学での4年間、工業デザインを専攻していた長男は勉強に明けくれていた。それでこれからしばらくは休暇をとろうという計画だ。大学の正式な卒業式は来年の5月なので、それまではバイトをしながら過ごし、就職活動はその間にするという。

家に戻って1週間もしないうちに長男は長距離自転車旅行の準備を始めた。大学時代の友達とここから500キロ先の温泉町ロトルアで待ち合わせて、北島の中部を回るのだという。これは前々から計画していたらしく、準備が整うとさっさと出かけていった。

10日ほどするとエネルギーを使い果たして真っ黒に日焼けした長男がまた戻ってきた。こんどはしばらく実家で休んでから住み慣れたウエリントンに戻ってバイトを見つけようと考えていたらしい。しかしウエリントンに戻ってアパートを探し、仕事を探す間の生活費を計算してみるとちょっとまとまった金額が必要になることがわかった。彼は学生時代に国からの低利の学生ローンを組んでいたのでその残りが多少あったが、ここは慎重に考えねばならなくなった。しばらく実家に住んでアルバイトをするのが一番いいのだが、この田舎町では手ごろな仕事が見つかりそうもない。

そんなある日、義父さんが「薪を売ったらどうだい」ともちかけた。10エーカーの我が家のパディック(牧草地)には防風のために植えられていた松の大木が大きくなりすぎたため切り倒されて転がっていた。それを電動のこぎりで細かく切って薪にし、トレーラーに乗せて売り歩くのだ。それはかなりの重労働だった。

義父さんは長男に「最初に投資として電動のこぎりと安全防具、ヘルメットを買い、電動のこぎりと車に使うガソリンを賄えば自分の小さなビジネスが始められるぞ」といった。そして「車とトレーラーは貸してやるよ」と。この薪のビジネスを通して生産から販売まで、ビジネス経営の基本が学べるというわけだ。

長男がやってみるというので、私たちはみんなで隣町のテームズまで電動のこぎりなどの道具を買いに行くことになった。長男と義父さんは何件かの店を見てまわり予算に合わせた道具を慎重に選ぶ。結局、中古はやめて新しい電動のこぎりと安全防具を買うことになり、ビジネスの準備が整った。

次の日からしばらく義父さんは長男に電動のこぎりの扱い方や、薪の切り方をコーチし、その日から長男は1日中パディックで薪を切りまくる。薪を売るトレーラーは4メーターx2.5メーターほどの大きさでかなり大きい。それに一杯の薪を切るのはかなり大変だ。はじめのうちはトレーラー1台分きるのに半日もかかっていたが、そのうちにだんだんと要領がつかめていった。

長男はトレーラー何台分かの薪が出来上がると、こんどはそれを車で引いて町に繰り出した。1件1件町中の家のドアをたたいて薪を売り歩くのだ。はじめのうちはそのドアをたたくのに勇気が要り、また断られるとがっくり来ていたようだったが、そのうちに1台売れ、2台売れと客もついてきて、長男も少しずつ張り合いが出てきた。

当時、薪の相場はトレーラー1台分で60ドルから80ドルだったが、供給に資本がかかっていない長男のは50ドルなのだから売れないはずはなかった。その上、気の良い彼は買い手が未亡人だったりすると無料で薪小屋に薪を積んでやったりするので、客が再注文してくれたり、ほかの客を紹介してくれたりする。あるときには大口の客にあたり一挙に10トレーラーの注文を受けることもあった。

長男は休む暇もなく薪を切っては売るということを繰り返し、すぐに資本投資した電動のこぎりや安全防具の代金を回収してしまった。そしてついにウエリントンに戻るのに十分な資金がたまると彼はビジネスを閉め、その収入を持ってウエリントンに出発していったのだった。彼はこの経験を通して肉体労働の厳しさを知ると同時に自分でやるビジネスの醍醐味を味わったようだ。それは彼に独立への勇気を与えてくれたことは間違いない。




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