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コラム「アジアの熱風」第22回

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第22回:猛暑の季節

西尾 英之さん

英文毎日室長、ザ・マイニチ(旧 毎日デイリーニューズ)
編集長

西尾 英之(にしお ひでゆき)


1963年生まれ。87年毎日新聞入社。福島支局、社会部などを経て03年から特派員としてパキスタン、インド、タイの各国に駐在。12年4月から現職。

屋台
▲在任当時の毎日新聞ニューデリー支局のスタッフ一同。
 右端が車のエアコンを切って私を気絶させた運転手のアジェさん。


暑い季節に暑さの話題で恐縮だが、インド赴任直後、暑さで気を失ったことがある。送られてくる荷物の受け取り手続きのため、ニューデリー郊外にある税関の保税倉庫を車で訪ねた。帰り道、倉庫に通じる未舗装の細い一本道で、倉庫へ向かうトラックと出るトラックがすれ違えず大渋滞。前にも後ろにも身動きがとれなくなった。

インドで最も暑い5月。バッテリーが上がるからと、運転手はエンジンを止めてエアコンを切ってしまった。気温は軽く40度を超えていたはずだ。携帯で東京の本社に「立ち往生している。死にそうだ」と、相手にとってはわけのわからない連絡をしたことは覚えている。そのまま意識が飛び、いつ自宅兼支局に戻ったのか、その後どうしたのか、その日の記憶が一切ない。

支局スタッフは翌日、「帰ってくるなり何かつぶやいて、そのままソファで寝てしまった」と言った。

私の赴任地はいずれも暑かったが、最もきつかったのはデリーだ。湿気が少なく日陰に入れば比較的過ごしやすいのだが、それでも摂氏50度近い高温となると何もやる気が起きない。パキスタンのイスラマバードとデリーは暑さ加減はほぼ同じなのだが、それでもデリーの方がきつかったのは、デリーでは「暑期」を迎えると、一番暑い日中に停電が頻発したからだ。

イスラマでも停電はあったが、電力不足による停電を防ぐため、事前に告知される「計画停電」がほとんどだった。これに対しデリーは事前告知など一切なし。ほぼ連日、午前10時ごろから夕方まで断続的に停電が続いた。

頻繁に通電と停電を繰り返すこともあり、そのたびに発電機の起動やエアコンのオン・オフに追われる。デリーの事務所や裕福な家庭には必ず、ガソリンで動く自家発電機が備え付けてある。予算が乏しかった私はケチって発電容量の少ない安い発電機を買った。パソコンや電灯など最低限の業務に必要な電力は起こせるが、エアコンまでは動かせない。窓を開けると発電機の騒音と排気ガスまで入り込んできて、室内はひどいことになった。

私がデリーで暮らしたのはもう8年も前だが、今も毎年暑期になると停電頻発のニュースが伝えられてくるので、状況はほとんど改善されていないようだ。

無秩序な停電が起きる最大の理由は、老朽化した送配電網が電力需要の急増に耐えられないためだという。政府の人気取り政策で貧困世帯向けの電気料金は安く抑えられ、勝手に自宅に電線を引き込む盗電も多い。電力会社は十分な収入を得られず、送配電網の更新にまで手が回らない、と説明されている。

念のためだが、インドにも原発がある。原発を増やせば直ちに停電がなくなるわけではないらしい。特に福島の事故後、インドでも原発反対運動が活発化している。

面白いのは、デリーのそれほど豊かではない人たちに聞くと、「暑さ」よりも「寒さ」の方が大変だという答えが多いことだ。暑いイメージの強いデリーだが、冬には気温が10度以下に下がる。貧しい人は家にエアコンはなく、仕事が屋外であれば停電もそれほど影響はない。これに対して冬は、何らかの暖房がないと「寒くて眠れない」というのだ。

暑さと、さらにイライラを増幅する停電に悩まされるのは、外国人や豊かなインド人だ。多数派である「普通の人々」は日中、寝ている。

デリーとは違った蒸し暑さが特徴の東京の夏。私は汗をふきながら、デリー支局前の木陰で昼寝をしていたリキシャワーラー(人力タクシー運転手)たちの、無心の寝顔を思い出す。


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