グローバルキャリア塾 連載コラム

2010年シェフィールド阿呆日記 (第4回)

第4回:スコットランドへ。

ビジネスアドバイザー、ジャパンリンク

よしみ マクラウド

浅草生まれ。明治学院大学 (英文学科)及びシェフィールドハラム大学(芸術デザイン学科)卒業。シェフィールド大学経営修士。ロンドンのインペリアル・カレッジ金属学部の教授秘書、シェフィールド大学付属ジャパン・ビジネス・サービス、南ヨークシャー・インターナショナル・トレード・センターの日本担当、シェフィールド大学英語教育センターのマネジャーを経て、現在ジャパンリンクの名の下、翻訳、通訳、日英ビジネスサービスを提供。

(2010年5月15日掲載)

映画や食事に行くと、割り勘でなく、さっと払ってくれる。
新しい下宿先を探さなくちゃと言ったら、すぐ見つけてくれた。
何かが壊れたと言ったら、すぐ直してくれる。
駅での待ち合わせに1時間も遅れたのに待っていてくれた。

この頼もしさ。辛抱強さ。優しさ。気楽さ。

そんな彼との結婚式は、彼の両親の住むスコットランドのパースという美しい古都で挙げた。牧師の言葉に従い、素直に「YES」と言って、カーテンリングのような細い結婚指輪を交換すると、これで「夫婦です」と発表された。

続いて、ホテルで披露宴。ケーキは料理自慢の夫の母の苦心作。参列者のほとんどは、夫の親戚、友人だったので、タータンチェックのキルトやドレスの衣装が多く、スコティシュダンスを踊り、バッグパイプに聞きほれた。まったくにぎやかな饗宴だった。そして、地方版の新聞に結婚式のお知らせが写真と共に載った。

私の両親には、何度も電話をしたが、「親子の縁を切る」と怒って、耳をかさなかった。まあ、その気持ちわかります。6ヶ月ぐらいで帰るといいながら、5年間も留守をして、おまけに、突然、「結婚します」と宣言したのだから、仰天して怒るのは当然至極。「わあ、おめでとう」と喜ぶ方がおかしい。でも、後日、母によると、結婚日が近づくに連れ、「父は行く気になった」そうだが、土壇場で怖気づいたらしい。

とにかく、親の反対を押し切っての結婚だった。幸いなことに夫の両親が賛成してくれたので、密かにGretna Greenに行って、駆け落ち結婚するという結末には至らなかった。

結婚費用は夫の両親から借りざるを得なかった。「豊かになったら返済します」と言って。。。彼らはすでにこの世にいない。

結婚後、とにかく事後承諾をもらいに、二人で、日本の両親のもとに帰ることになった。その頃には父の怒りもとけ、遠慮なく、はっきり意思 (イエスとノー)を伝える (ダメというのが始めて覚えた言葉) 夫が気に入って、言葉が通じないまま、意気投合していたようだ。イギリスに帰る日、いつも強気の父が涙声で「よしみをお願いします。」と夫に頭を下げるのを見て、胸がキューンと痛かった。

夫は、その頃、博士論文を書き終えるため奮戦していたが、指導教授の転任に伴って、私たちもスコットランドのAberdeenに移転した。私は、ある会社に就職したが、結婚、引越し、転職という3大ストレス要因に加えて、スコットランドの訛りと、会社の人の手書きの字に苦労して、まもなく病気になってしまった。 Aberdeenはとても整然とした、きれいな町だったし、会社の人たちも、皆、私のことを心配してくれたが、楽しかった独身生活すなわちロンドンが無性に懐かしかった。

結婚後の新居は、Basement (地下)のちっぽけなフラット(台所、風呂、寝室件居間)を借りた。

新婚のカップルが入居する際は、夫が妻を抱えて入るという習慣がある。私はその頃は60キロちょっとのデブで、一方、夫は長い針金だった。それに入り口が狭く、ガタガタと角にぶつかってはよろけ、ずり落ちながらの奮闘ぶりは、ロマンどころか、コミック。ゲタゲタ笑っての入居だった。

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