気づいたらトリリンガルになっていました
番外編:留学を経て、いまミャンマーの方たちに寄せる想い
鈴木 俊良
大学卒業後、日系旅行会社に入社。ミャンマー支店の立ち上げに携わり3年間勤務。退職後、2017年、HOME Myanmar mm Co., Ltd.を設立。ミャンマー東北部シャン州インレー湖を拠点に旅作りやスタディツアーなどを行い、2019年からは地産地消をテーマにしたカフェ、Harvest Cafe & Dineを運営している。「旅」を通して、Win-Win-Winの関係を作ろうと模索中。
(2021年3月12日掲載)
大学構内で行われた募金活動
こんにちは。今回の記事では番外編として、中国留学を経て、いまのミャンマーの方たちに寄せる想いをお話します。
私は、2014年からミャンマーを拠点とし、仕事、生活をしてきました。本コラムでは、トリリンガル留学について紹介していますが、ミャンマーでの生活も、その留学があったから存在したものです。
いま、私の大好きな国ミャンマーの人々が直面している危機的な状況。
そして私が中国留学中に起きた東日本大震災。あの時、中国で感じたこと、記憶がよみがえることも多く、今回の番外編を寄稿させていただきます。
ミャンマーでいま、何が
新型コロナの感染拡大に伴い、2020年4月から日本に一時帰国をしていた最中、2月1日にミャンマーでクーデターが発生しました。
それは、民意によって選ばれた政権として2016年から国を率いていた与党NLDの代表であるアウンサンスーチー氏やウィンミン大統領など幹部を拘束し、非常事態宣言を発令、国軍が全権を掌握したとする声明を発表するという衝撃的なものでした。
詳しい内容や解説は、以下リンクをご覧ください。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/443903.html
ミャンマー国民の何が奪われたのか
2月1日にクーデターが起き、平和的なデモ活動が全国的に広がり、そしていま、国軍の武力による弾圧が強くなっています。いま、この文章を書いている間も、叫び、声をあげている人たちがいます。
SNSや現地にいる友人から届くニュースや映像、画像を見ては悲しく、やり場のない気持ちになる日々です。
ミャンマーは、長い間軍事政権が続き、人々に自由はなく、経済的にも困窮し苦しい時代を過ごしてきました。そんな中、少しずつ民主化へ歩み、特にこの10年弱の間は大きく改革が進んだ時期でありました。
経済発展の中で、若者たちの多くが夢や希望を抱き、やっと手に入れた自由を享受していました。
それが、たった一夜にして、崩れ去ってしまいました。
2月1日、私の友人から送られてきたメッセージ。
「I don’t know what to do.」(何をすればいいかわからない)
これからまた真っ暗だった軍事政権の時代に戻ってしまうのか。
いままで頑張ってきた勉強も、仕事も、何もかも、何の意味があったのだろうか。
いまの仕事は今後も続けられるのだろうか。
こんなにも乱暴な形で、人から夢や希望、自由が奪われていきました。
日本人なら、生まれた時から当たり前に与えられてきたもの、もはや権利とも認識していないものを取り戻すために、失わないために、いま人々が命を懸け、声をあげています。
ミャンマー・ヤンゴン市内で起こるデモ活動
中国で過ごした3.11
ちょうど10年ほど前、2011年3月11日、日本では東日本大震災が起き、未曾有の事態となっていました。
その時、私は中国で春学期が始まった頃でした。
3月11日以降、授業が終わってはすぐにインターネットを開き、日本のニュースを調べる日々でした。
自分の生まれた国、見慣れた街で、起きている事実や泣き叫ぶ人たちの映像を見ては、受け入れることで精一杯でした。
震災からすぐに、昆明在住日本人が中心となり募金活動をすることとなりました。
募金活動には、日本人だけじゃなくて中国人や他の国からの留学生も手伝ってくれました。集まった額は日本円にして約20万円。当時の現地の物価を考えると、かなりの金額であったと思います。
中国人の先生や留学生、会う人すれ違う人、みんなが「地震、大丈夫だった・・・?」と気にかけてくれました。
そのことで何か世界が変わったことなんてなくとも、『気にかけてもらえている』ということにとても勇気づけられ、私自身の心は助けられていました。
同じ頃海外にいた日本人の方たちは、きっと同じ経験をされたのではないでしょうか。
東京でデモ行進する在日ミャンマー人の方たち
少しだけ、想いを寄せていただくだけでも
いま日本でも、在日ミャンマー人の方たちがデモ活動を行っています。
コロナ禍ということもあり、酷い言葉をよせる日本人の方たちもいるようです。
海外で仕事や留学をしている日本人と同じように、様々な想いや事情があって、いま日本で仕事や留学しているミャンマーの人たちがいます。在日ミャンマー人の数は、3万人を超えます。
第二次世界大戦時には日本がミャンマーに攻め入り、占領していたこともあります。多くの犠牲者も出ました。
戦後コメ不足に陥った時には、最大時年間30万トン以上のコメをミャンマーから輸入して、日本人の食を支えてくれていました。
東日本大震災のときは、ミャンマー政府から10万ドルの義援金を送ってくれました。
今回のクーデターに至る前の、過去2回の選挙では、公正公平な選挙が行われるよう日本政府が支援をしていました。
多くの日本人にとって、約4300km離れた東南アジアの一国で起きている出来事で、どうでもいいことかもしれません。
でも、歴史的にも、いま現在も、深く繋がりあっている国なのです。
母国が大変な事態になっている中、そこにいれないこと、ともにすることができないことに、とても胸が痛んでいると思います。
その歯痒さであったり、悲しい気持ちを、私は3.11のときに感じていました。
世界中どこかで、様々な問題が起こっている中で、ミャンマーの問題だけを気にかけてほしいとは思いません。
でも、もし、どこかでミャンマーの人と出会ったら、一声かけていただけたら嬉しいです。
デモ活動をしている姿を見かけたら、どうか温かい目で見守っていただけたら嬉しいです。
きっとその一言や行動が、異国の地で暮らす人たちを勇気づけ、きっといつか自分たちに返ってくるのだと思っています。
いまミャンマーは本当に大変な時を迎えています。
少しでも多くの犠牲者が出ないことを、毎日祈っています。
大切な人、大切な人の大切な人たちが傷つかないことを、毎日祈っています。
どうか早く、平穏で、人々の優しさに溢れたミャンマーが戻ってきますように。
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