違う言語を学ぶことによって違う自分が生まれる (第1回)
第1回:あこがれの国「日本」への第一歩。大学で日本語を専攻に。
サマコワ イバラット
2000年、キルギス民族大学東洋学部日本語学科に入学。第一言語として日本語、第二言語英語を選択。2005年、大阪外国語大学日本語日本文化教育センター入学。2006年千葉大学法経学部法学科入学。2010年同大学卒業。2010年春、中央アジア地域の観光・留学業務を行う旅行会社に勤務。2010年11月からは、(株)毎日エデュケーションに転職。2011年3月からはキルギスにて、NPO法人ジャポン・キルギス・ビリムディギ代表として活動。
「日本であまり知られていないシルクロードの中央アジア地域を積極的にアピールし、一人でも多くの日本人に中央アジアを知ってもらいたい。そして、キルギスと日本の架け橋になりたい」
【話せる言語】 キルギス語・ロシア語・日本語・英語
【将来の夢】 10ヶ国語を自由に話せる人間になりたい
(2010年4月15日掲載)
6千キロメートル。これは私の国キルギスと日本の間の距離です。遠いですね?多分日本には「キルギス」という国を初めて聞く人も多いかもしれません。
キルギスは5百万人の人口の中に80以上の民族が住んでいる、中央アジアの真ん中にある小さな国です。1991年に旧ソ連が崩壊し、キルギスは独立して新しい国家として成り立ったのです。
独立してわずか19年目を向かう私の国は貧困や失業、教育や医療分野の悪化といった様々な問題と直面し、今様経済発展の途上を歩んでいます。
そんな国で生まれた私は18歳の時に大きな夢を持っていました。それは国のために働きたい、社会の役に立てる人間になりたいという夢でした。私は海外で教育を受けて、自分の母国を世界の他の国々と比較し、世界をもっと知った上で、母国における問題の実態をより深く理解したいと思ったのです。
しかし、私のその夢には大きな壁がありました。それは私が女性であるという壁でした。私の父の話によると女性は若い内に結婚し、子供を産み、家族を作るのが仕事であり、社会のために働くのは男性であるということです。そして、キルギスには私の父と同じ考え方を持っている人は少なくありません。
私も確かに「家族」というものは何よりも大事だと思うし、仕事をするのもその「家族」のためだと思います。しかし、家族を作らなければいけないから教育は要らないということを私はどうしても受け入れられなかったのです。
高校を卒業し、私は大学に入ることを決め、自分が住んでいた町からキルギスの首都ビシュケクへ行きました。そこで、キルギス民族大学の東洋学部日本語学科に入学し、初めて日本語を習い始めました。大学に入るまで中高学校で英語を習っていて、そして少しトルコ語も学んだことがありますが、日本語は私にとって全く新しい世界でした。
「一人の人は一つの言語で話すと一人の人間である、しかしその人は二つの言語で話せるようになると二人の人間になれる」
----これは、私の国で有名な諺です。言われてみればあまり意味が伝わって来ないかもしれませんが言語を学んでみると、そしてその言語で自由に話せるようになると本当に自分が新しい人間として生まれ変わった気がします。
次のコラムでは私が自分を二人・三人の人間として感じた経験について、そして日本の留学生活について話したいと思います。
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