ジャーナリズムの現場から (第6回)
第6回:ムバラク回想
共同通信社外信部デスク
半澤 隆実(はんざわ たかみ)
1962年福島県会津若松市生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、1988年共同通信社に入社。大阪支社、浦和支局、本社社会部などを経て、外信部へ配属。カイロ支局特派員、ロサンゼルス支局長としてパレスチナ紛争、アフガン、イラク戦争、ハリケーン「カトリーナ」被害などを取材。2007年から外信部デスク。著書『銃に恋して 武装するアメリカ市民』(集英社新書)
(2009年10月15日掲載)
もう20年以上、昔の話だ。碧い地中海を臨む港町の酒場で出合った、その男の名前は「ムバラク」といった。潰れて見えない左目を隠そうともせず、たばこのヤニだらけの前歯が見える口元を緩ませて、繰り返す。「チュニジアは好きか・・?」。残った右目には、好奇心と人懐こさの光を宿しながら、ほほ笑んで来る彼の職業は漁師。地元では少し知られた名だという。
砂漠とヤシの木に囲まれたチュニジア東部のスファックスにたどり着いたのは、ある秋の夕刻-1986年と記憶している-であった。私と友人のスコットランド人レイは、さらに南部にあるサハラ砂漠の入り口から10時間近いバス移動を終え、砂と疲れが染み込んだバッグパックとセーターを、安ホテルの、これまた同じように疲れた旅人たちの砂と汗が塗り込まれたベッドに放り投げ、町に繰り出した。
「とにかく酒だ」「いや飯が先だ、飯だ」と、一目散にレストランを目指した。北アフリカ名産であるトマト味のクスクスや、当時学生であった私には、高くてなかなか口にしない赤ワインを この日ばかりはたらふく腹におさめ、酔いの勢いで港近くの酒場に足を運んだ。建物は木造の2階建てで、カウンターで酒をショット払いで買い、思い思いフロアのテーブルで楽しむスタイルで、私とレイは入り口近くの席を選んだ。
アラブ世界を旅すると一瞬も鼓膜を休ませてくれないのではないかと思える大音響の音楽も、なぜかこのバーでは流れておらず、早朝の仕事を前に寝酒を決め込む漁師たちの世間話や、冗談を言い合う際の笑い声がホールを満たしていた。その時に隣に座っていたのが、冒頭のムバラクであった。
「チュニジアは好きか?」だの「日本で車はいくらで買える?」だの、ありきたりな会話がワイン5杯分くらいの時間続いただろうか。ムバラクとその友人は、私とレイを家に誘った。当時の私は20歳前半、「何でも見てやろう」真っただ中。断るはずもない。ムバラクと友人、私とレイの4人は千鳥足で彼らの〝家〟に向かった。なにぶん田舎で街灯もない。知らぬ町を深夜歩くことへの抵抗はあったが、長年海で鍛えた筋骨隆々のムバラクがなんとかしてくれるだろう-そんな気持ちもあった。
そうして歩くこと15分ほど。ムバラクはなぜか家々の並ぶ区域を出て、さらに寂れた船の係留所へ私たちを導いた。見えない海の縁を、岸壁にぶつかる波の音で想像するしかない闇の中、ムバラクが少し誇らしげに言った。「ウエルカム」。そう、この時ようやく私たちは気付いた。それが〝家〟であった。途上国で貧しい漁師が「わが家」と言えば、「漁船」であろうことに思いが及ばなかった不覚を悟った。
だが、手遅れであった。残った一つの右目だけで、ほほ笑み、「日本が好きだ」と繰り返す田舎の漁師さんの誘いを、家の前で断るなど、できるはずもない。我々は中に入った。ムバラクの家は船底にあった。日本間で言えば、4畳半前後。小さく揺れるろうそくの光が、天井からぶら下がる洗濯物や漁網をぼんやりと照らし、喫水線の当たりを波がタプン、タプンと間抜けな音を立てながら打ち続けた。
恐らく風呂やシャワーはあまり好きではないのだろう、魚介類の臭いと彼らの生きる証でもある体臭が、私の判断力を徐々に奪った。世間話の続きが途絶えると「もう疲れたから寝よう」とムバラクが言った。「そうだね」と私は答えた。もう寝るしかないだろう。寝てすべてを忘れよう。
ろうそくが消され、闇が広がったが、眠れない。実際に眠るスペースは2畳ほどで、男4人が横になると寝返りも容易で無い上に、臭い。私の気分を察したのか、ムバラクが気を使ってくれた。
「おい水はいらないか」
「ありがとう、大丈夫」と私。
「たばこは欲しくないか」
「いやもういらないよ、ムバラク。ありがとう」
「そうか、ところで・・愛はいらないか」
「・・・・・・・・」
言葉の意味がつかめない私に、ムバラクはストレートな要求をぶつけてきた。
「なあズボンを降ろしてくれないか」
「・・・・・・・・」
やはりもっと早くに気付くべきであった。筋骨隆々の漁師と密室に入ることの意味を。しかも愛を求めるその場所は、文字通り彼らのホームグラウンドだ。
その後の行動を私は今も悔いている。なぜあんなことができたのか自分で本当に信じられない。振り返るときの気分は言葉にできない。いっそ地中海の漁師との友好関係に沈んでしまえばよかった、と思えてしまうほどだ。
ムバラクの求愛で緊張した私は、急激に用を足したくなったのだ。さすがにその〝家〟の中にトイレはなく、外にでるしかない。「ついて行ってあげるよ」という言葉を振り払い、外に出た私は、それまで摂取したワインやビールを、海に返した。その時、ふと空を見上げた先に輝く満点の星々が私に告げた。
「お前も帰れ」「ホテルに帰れ」。
酔っていたのか、恐怖が判断力をゆがめたのか。私はそのまま船に戻らず、スタコラとホテルに帰ってしまったのだ。レイのことは「無事でいてくれ」とだけ祈ったはずだ。部屋に戻って「耳なし法一」のように震えながら朝を待った。
日が昇ったころ、部屋に戻ったレイの顔は今も忘れない。怒りと諦めと苦悩が入り交じった表情で私をなじった。「スマンスマン、つい散歩したくなって」。それ以上の言い訳は思い浮かばなかった。半分は本当でもあった。それよりも私が不在になった後に起きた事に話題が及ぶのを私は恐れた。
その後、心なしか、がに股歩きが目につくようになった彼の口からは何も語られなかったが、友情は続いた。ムバラクはどうしているのか、幸せになったのか。最近、ようやくチュニジアの一夜の思い出を、人に語れるようになった。
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