留学は目的じゃない。夢を叶える手段なんだ! (第1回)
第1回:自分の留学体験~なぜ留学したかった?目的は?
オーストラリア・ビクトリア州 政府 東京オフィス
教育企画推進官
眞田まこと(さなだ まこと)
大阪府出身。社会人10年目にしてオーストラリア留学をし、その後留学エージェントを日本で立ち上げ、その後メルボルンで働く。2006年に帰国して現職に就く。ビクトリア州政府によるオーストラリア留学推進プロジェクト「STUDY MELBOURNE」に携わる。
(2009年8月15日掲載)
今思えば、かなり無謀なチャレンジだった。生まれ育った大阪で、しがないサラリーマンを続け、それなりの仕事、それなりの収入、それなりのプライベートも揃っていて、このまま普通に結婚して、家族ができて、家なんか買ったりして、平々凡々な人生を送ると思っていたのに、ひょんなことから10代の頃に抱いていた夢がよみがえった。
兄がバイクショップで勤め、父親と2人いる兄までバイク好きだったこともあってか、中学の終わりくらいからバイクに興味を持ち始めた。それもバイクレースにだ。生まれて初めてサーキットで見たバイクレースが1986年夏の鈴鹿8耐。前年の同じレースで劇的優勝を果たしたワイン・ガードナーというオーストラリア人ライダーのファンだった私は、目の前で見た彼の走りに感激していた。そして彼は翌年世界グランプリで念願のチャンピオンになった。
ここまで読むと、バイクレースの話かと思われるかもしれない。しかし実は彼こそが私がオーストラリアへ行きたいと思わせてくれた張本人だった。
ガードナーファンだった私は雑誌などを通して彼の経歴を知り、世界へ羽ばたく前にオーストラリア国内選手権で活躍していたことを知った。そして憧れが目標へと変るまで、さほど時間は掛からなかった。そう、彼が活躍したオーストラリア国内選手権に1度でいいから予選通過、決勝を走り切りたいというのがオーストラリアへ行く目標だった。
その想いからおよそ10年の時を経て、自分のバイクレーサーとしての才能のなさも自覚した上で、それでもオーストラリアへ行こうと思ったのは、自分にとってのヒーローへ一歩でも近付きたかったこと、そして自分がダメでも将来レーサーになりたいと思っている次の世代の中からオーストラリアでレースをしたいと思う人が出てきた時に、バックアップしてあげたい、そういう想いがあったからだった。始まりは「レース留学したいという人をサポートしたいということ」からだった。それが後には“レース”という言葉が抜けた「留学がしたいという人をサポートしたい」という想いに変っていたのだった。
だから、オーストラリアへ行く時に、初めて行く国なのに、どんな国なのかわからないくせに、「もう日本には戻らない。永住するんだ」という何の根拠も自信もない決意だった。「どんな仕事でもいいから、オーストラリアで働いて、一生暮らしたい。まずはそのために英語を完璧にして、そうすれば何とかなるだろう」という勘違いと思い込み。今思えば、かなり無謀なチャレンジだった。絶対にどんな仕事でもいい訳がないし、第2言語の英語が完璧になんかなる訳ない。日本語だって完璧かどうか怪しい。オーストラリアなら幼稚園児の方が自分より英語が上手い。何とかなる訳がなかった。
留学の目的は、一向に英語の上達を実感できない頃、それがなんだったのか忘れてしまう程度のものだった。現実は厳しい。でもオーストラリアが大好きな気持ちはより強くなった。
▼ビクトリア州のフィリップアイランドへオーストラリアグランプリを見に行った時にコースで撮った写真
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