ブータンの空の下から (第12回)
第12回:そうだ、海外へ行こう!その3
片山 理絵
ハワイ大学東アジア言語・文学部修士課程卒。在学中にブータン王国出身の夫と出会い、一年半の遠距離恋愛を得て、2001年4月に結婚。知り合った時は、ブータン王国という国が存在する事すら知らなかったが、12年の在ブ生活を得て、ブータンという国の歴史と文化の奥深さを知り、次第にはまりつつある。現在3人の子供を育てながら、夫の家族が経営するペルキルスクールの経営に携わっている。
■ペルキルスクール http://www.pelkhil.edu.bt
2010年に開校した中高一貫の私立学校。2013年からプレ・プライマリーのクラスもオープン。現在は450名の生徒が在校する。
(2014年6月15日掲載)
日本に帰国してから約2年半、昼間はホテルで働き、夜と夏・冬休みは学習塾で講師を務めながら留学資金を貯めた。しかし「留学に行く」という気概はあっても、TOEFLの英語テストは苦手で、勉強しても全く点数が上がらなかった。ロータリーの奨学生のテストも受けたが、英語の点が最低基準点に達していないと言う理由で「次点」となった。(と言うよりも、日本で普通最低基準点に足りていないのに受ける人もいないと思うが(笑)。ロータリーの方々は、私の事を面白い受験生と思って下さったのか、一定期間中に基準点をクリアー出切れば合格という条件まで考慮して下さったが、情けない事に最後のテストもやっぱり駄目だった。「あ~ぁ、やっぱり私はテストは駄目だ。」とがっくりきたが、諦める訳にはいかないので、全米の大学が掲載されている「大学一覧書」を購入し、片っ端から調べた所、ハワイ大学の授業料が安く、これなら貯めた留学資金である一定期間勉強できるかも、というとても単純な理由で、必要書類を準備し願書を出した。
アメリカに行ってからの事は全く頭に無かった。先ずはそこに行く事、そしてそこで考えれば良いと思っていた。今から考えると全く計画性のない事だが、「そこで何するの?」とか「どのくらいアメリカにいるつもりなの?」という質問を私に一切しなかった。
合格通知が届いた時は飛び上がる程嬉しかった。何せ一校しか受けていないのであるから、正に賭けだった。そして1997年8月、私はこれから始まる新たな第一歩に期待一杯の気持ちでハワイへと飛んだ。
ハワイに着いてからは、あまりにもやる事(例えば授業登録やら煩雑な書類等の手続き)が多く、瞬く間に時が流れ、あっと言う間に新学期の授業が始まった。前回の交換留学先のケント大学での「自分がマイナー人種になる」という体験から、日本について海外で勉強してみたかったので、「日本宗教」や「日本のポップカルチャー」や「日本近代史」等と言ったクラスを履修した。はっきり言って、こういうクラスを取る事が自分の将来得になる等と言った考えは全く頭に無かった。「自分が勉強したい事を勉強する」というこの一点だけの思いだった。
魅力的な教授陣に恵まれたこともあったと思うが、勉強をする事が面白くて仕方無かった。アメリカの大学では先ず「持論有りき」なのである。だからそれなりの資料に裏づけされた理論があれば、それが「正論」となりうる可能性がある。それが面白かった。
レポートの提出、クイズと言う名の小テスト、プレゼンテーションや中間・期末テスト・・・覚悟はしていたが、やはりアメリカの大学はハードだった。毎日朝3時まで勉強し、仮眠を取り7時に起き、8時に学校に行く生活。金曜日の夜は留学生達と一緒に夕食を食べ、土曜日は一日休息を取り、日曜日からは又勉強漬けの生活に戻る。自分で頭の切り替えをはっきりさせてやっていかないと、身体も心も持たなかった。しかも自分の貯金の残高を知っている為、全く贅沢は出来なかった。
努力が実り、最初の学期の成績が良かった為、二学期目からは州内学生の授業料(アメリカの公立大学ではその大学が立地している州内から通う学生と留学生を含む州外学生の授業料が異なり、州外学生は州内学生の2倍から3倍の授業料を払う様になる)だけを払えば良くなり、何と一年後には大学から「授業料免除」の手紙を頂き、全アメリカ大学の成績優秀者リスト、所謂「ディーンズリスト」に名前が記載された。母国日本で高校まで「成績優秀者」となった事の無い私がアメリカで認められたという事は、自分にとって言葉では言い表す事が出来ない程の誇りとなった。
しかし、やはり現実は厳しく努力にも限界があった。大学院入学の試験を受け、大学院に入った私は、学部とは全く違うレベルの勉強量と、全く違うレベルの頭脳を持ったクラスメートに言い様のないプレッシャーを感じた。そこから勉強が今度は苦しくなってきた。やれどもやれども全くクラスメートには適わないのである。大学院はとても小さい人数の在籍者グループであった為、精神的にもかなりきつくなってきた。「もう駄目だ」と何度も思い、投げ出したかった。しかし、日本で大学を既に卒業していた私は、ハワイに行ってから一年半後、アメリカの大学を卒業せず、大学院を卒業する選択を自分でした為、大学院の卒業書を手にするまでは絶対に逃げられない、という事を自分でよく分かっていた。そして、「人生に一度、これ以上は出来ないという限界に挑戦し、克服してやろう、それが今後の自分の人生において必ず自信となる」と何度も自分に言い聞かせた。
そして、2000年12月、何とか卒業試験にパスする事が出来、大学院修士課程の卒業証書を手にした時には、喜びよりも心からホッとした。その時の私のハワイでの貯金残高は20万円を切っていたので、もう一度試験を受け直す余裕は無かったのである。私の人生「ジェットコースター」の様である、とつくづく思う(笑)。
さて、3回にわたって書いてきた私の留学記であるが、ここで私が言いたかったのは「世界は広い」という事。世界には様々な価値観があり、それはテレビで見たものやネットで調べたものでは無く、自分が経験してみないと実際分からないという事、そしてその経験全てがその人のその後の人生において、必ず有益なものになるという事である。
「そうだ、海外へ行こう!」と日本の田舎で思っていた私であるが、正かヒマラヤの奥地ブータンまで来るとは思いもしなかった。しかし、ここブータンで13年間も生き残る事が出来ているのは、こういった経験があったからこそ、とつくづく思う今日この頃である。
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