宮永コンピテント英語塾 (第2回)
第二回:You don’t want to go, do you? 親切が仇
宮永コンピテント英語塾
宮永國子(みやなが くにこ)
宮永Competent英語塾 塾長、人類学博士。国際基督教大学大学院人類学教授、多摩大学グローバルスタディーズ学部創設学部長を経て、現在ハーバード大学研究員。
(2008年4月15日掲載)
私事に渡って恐縮ですが、おじは父親(私には祖父)に従って、戦前のアメリカに移民しました。おじが16歳の時だったとのことです。当時の小学校1学年に入学し、英語と文化を学びました。その後、父親は移民に失敗して帰国しましたが、おじは残ってハリウッドに行き、俳優学校に通いました。ご存知のようにハリウッドには、どんな英語の「なまり」でも教えられる演技指導者がいます。どんな「なまり」でも「正統的な」英語に直すことも、もちろんできるわけです。おじはここで演技を学ぶだけでなく、正統派の英語を身につけました。今でも正統的な英語を身につけるため、わざわざ俳優学校で学ぶアメリカ人がいるほどです。そのぐらい同じアメリカにも、いろいろな英語があるのです。すべてのネイティブが同じ英語を、話すわけではないのです。
おじは俳優で成功したいという気持ちも持っていました。でも当時の映画には、日本人の俳優が活躍する役がありませんでした。かろうじてある場合にも端役か悪役で、しかも役割自体は日本人で無い場合が多かったのです。悪役で成功した早川雪洲は、おじの学校の先輩で、海賊役で有名な人でした。
おじは俳優になることをあきらめ、ハリウッドで中国料理店を開きました。当時良い英語が話せて、文化も理解し良いマナーの身についている東洋人は少なかったので、おじのレストランは高級レストランになりました。以前俳優学校で知り合ったハリウッドのセレブたちが、たくさん友達を連れてきてくれたので、たいへんに流行ったということです。おじはその近辺で第1の成功者となり、30代の後半で早期引退し、悠々自適の日々を送るようになりました。
しかし太平洋戦争が始まり、おじの運命を変えたのです。戦中、戦後には、言葉にならない苦労をしたのですが、その後日本に帰り余生を過ごしました。私が知っているのは、このころのおじです。高校生のときに、ある日おじがふと言ったことがあります。そのとおりには思い出せませんが、まとめると以下のようになります。
戦争が始まって、日本人移民には軍に加わるか、収容所に行くかの選択が与えられました。その登録に来た担当官の中には、日本人移民に同情して、軍には行きたくないでしょうと、わざわざ言ってくれた人たちがいました。でも当時の日本人移民には英語の出来ない人が多かったので、親切が仇となってしまったケースもあったのです。「軍には行きたくないですね」というつもりで、
“You don’t want to go, do you?”
と担当官は言ったのです。英語の出来ない日本人移民は、喜んで、
“yes!” はい(行きたくないです!)
と言ってしまいました。もちろん英語では”Yes”は
“Yes, I want to go.”
です。
“Yes, I don’t want to go.”
は言えません。でもうっかり言ってしまうことは、よくあるでしょう。”Yes” “No”はあまりに簡単で、日常的なので、かえって間違ってしまうのです。
おじと英語について話したことは、この時だけだったのですが、今でも印象に残っています。英語を学ぶために、おじがどれだけの苦労をしたか、このエピソードが物語っているように、わたくしには思えるのです。現場の英語学習って、笑えない苦労話の連続です。
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