アジアの熱風 (第14回)
第14回:イママの涙
西尾 英之(にしお ひでゆき)
1963年生まれ。87年毎日新聞入社。福島支局、社会部などを経て03年から特派員としてパキスタン、インド、タイの各国に駐在。12年4月から現職。
(2013年8月1日掲載)
「なぜ私はウサマと同じ学校へ行けないの」
パキスタンの首都イスラマバード近郊に暮らす少女イママは、小学校の入学式の朝、目に涙をためて父親にそう抗議した。
イママには双子の弟、ウサマがいる。それまで二人は毎朝、地元の同じ幼稚園に通っていた。だが小学校への進学に当たって一家は、弟のウサマは首都中心部にある私立学校へ、姉のイママは地元の公立学校への進学を決めたのだ。
▲活発なイママ(右)とおとなしいウサマ(左)。仲のよいきょうだいだ=西尾撮影
活発でもの怖じしない姉のイママに比べ、弟のウサマは控え目でおとなしい。姉が弟を引っ張る関係だった。そのイママが、一人だけ新しい私立学校の制服を着てはしゃぐ弟の姿に感情を爆発させたのだ。
「これまで二人を分け隔てなく育ててきたのに、イママには可哀そうなことをした。でも二人とも私立に通わせるほどの経済力はない」。父親はその日の朝のことを話しながら、しんみりとそう言った。
女性が教育を受ける権利を訴えてタリバンに銃撃された、パキスタン北東部の女子中学生、マララ・ユサフザイさんの事件が世界の注目を浴びた。だがこれは、イスラム原理主義勢力が強い辺境の地での話。都市部では一見、女性がそれほど抑圧された生活を送っているようには感じられない。
役所や大企業で働くエリート女性もいるが、市場などで働く庶民の女性はほとんど見かけない。だが、一歩住宅街へ入れば、女たちも洗濯や炊事などで忙しく立ち働いている。少し暮らしに余裕があれば、昼間から女性だけで集まり優雅にお茶の会を開いて楽しんでいる。男の私は、旦那たちは汗水流して働いているのにと、逆に女性の暮らしぶりをうらやましく思うこともあった。
だが人生の節目に「男女」の違いが顔を出す。イママにとって進学は、生まれて初めて味わった「女であるがゆえの挫折」だったことだろう。
父親は原理主義とは程遠い一般的なパキスタン人だ。「男の子だから優先したのか」とたずねる私に、しばらく無言。そして逆に「日本人ならどうするんだ」と聞いてきた。とっさに答えられず、今度は私が黙り込んだ。日本でもつい最近まで女性に「良妻賢母」的な役割を求めてきた。いまも完全な男女機会均等社会と言い切れるだろうか?
パキスタンの庶民女性の社会進出を阻んでいるのは、イスラム教というよりは地域社会に根ざした伝統的な価値観だ。どの社会にも独自の価値観がある。米欧の価値観に基づくパキスタン社会への非難には、違和感を覚える。
しかし、あのお茶目な少女イママが流した悔し涙。これからの人生で、彼女は何回か同じような涙を流すことがあるのかもしれない。パキスタン社会も、日本のように「近代化」されるべきなのだろうか? 私自身、答えは出ない。
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